今週の風の詩
第3946号 赤いホーロー鍋(2024.9.29)
赤いホーロー鍋
大澤 江里子
家族が集まるときには、決まって寒天を寄せてもてなしてくれた祖母。牛乳寒天、珈琲、みかん。レパートリーはそのみっつの味だ。
しっかりと冷やし固められた寒天は、水にくぐらせた天然石のように瑞々しくて艶々。ぷにょんとした雰囲気のゼリーとは違う、海藻のコリコリとした食感も気持ちがいい。みっつの味の中でも牛乳寒天ばかりを食べてしまうから、よく注意されたけれど、おばあちゃんの牛乳寒天が大好きなのだから仕方ないじゃない。
おばあちゃんには娘が4人いて、孫の中で女はわたしひとり。わたしはすくすくとおばあちゃん子に育った。近所に住んでいたから、習い事のピアノがない日には、よくおばあちゃんのところへ行って遊んでもらった。田畑に出て水やりや野菜の収穫を手伝い、小豆を炊いておはぎを作ったり、故郷の笹団子を一緒に作らせてもらったり。ほかにも浴衣を仕立てたり。縫い物をするときもとなりで見ていた。おばあちゃんの両手からは、鮮やかで華麗な技が次々と出てきて、なんてかっこいいんだろう。
ある日、小学生のわたしは意を決して、おばあちゃんに牛乳寒天の作り方を教えてほしいとお願いした。この味をわたしが継がなければ、なぜだかそう思ったから。赤いホーロー鍋を前に、おばあちゃんとの牛乳寒天作りが始まる。鍋底から全体に、たえまなく優しく木べらを動かし続ける作業に、手首が悲鳴をあげそうだった「そろそろいいかなぁ」幾度となく聞いてみるけれど「まだまだ」という答えが返ってくるのだった。
いつも、こんな風に手間と時間をかけて作ってくれているんだね。おばあちゃんのような人になるには、とても簡単ではないことを思い知った。
小学生の孫に対してもごまかさず、本気で向き合い、いつでも教えて見せてくれた。もう直接会えなくても、おばあちゃんの生き方をそばいにいて見ていたわたしは、人生に困難なときが来ても、進む方向をおばあちゃんが指し示してくれる気がするからなんだか心強い。大丈夫だよおばあちゃん。