今週の風の詩
第4049号 無題(2026.9.20)
第4048号 あなたを思い出す(2026.9.13)
けれど案外私たちは行きずりの人やごく淡い縁の人をさえ、折に触れて思い出していることはないだろうか。
夏休み、早朝ラジオ体操の広場に駆けていく小学生にすれ違えば、寝坊した私のカードにも内緒でハンコを押してくれたお下げ髪の上級生が今も微笑みかける。
昭和を回顧する番組の、タラップから降り立つビートルズの映像を見るたび、今も一人の女子高生が私の横に小躍りして寄り添う。
ポール結婚のニュースで寝込んで学校を休み、翌朝泣き腫らした目で登校した同級生。同級生の一人というだけの間柄だったけれど、彼女の一途さが可愛くて眩しかった。
妊娠二ヶ月頃だった私にバスで席を譲ってくれた、小さな子ども連れのお母さん。外見はまだ全く妊婦とわからない時期なのに「お腹に赤ちゃんがいるのよ、代わって上げましょうね」とお子さんにそっと言い聞かせて。
込み合うバスで私、不安げだった? お腹を庇う動きをした? ……不思議だったけれど、お子さんもニコニコ顔だったこともあり、ありがたく甘えた。もし間違っていたらと躊躇わない、気付かぬ振りもできただろうその人の勇気と優しさを忘れない。女性から女性へ、母から母となるものへの、なんと心強い励ましだったか。思えば私も妊婦さんと接するとき、あの笑顔が無意識に乗り移っている。
浅い縁の、なのに忘れ得ぬ人々はこうして不意に、生きいきと私の中に立ち現れ、生涯私を温めてくれる。そしてそのことを夢にも知らないだろう。
それなら逆に、思いがけない人たちが、何かのきっかけで私を思い出すことがあるかもしれない。
バスの女性の素晴らしさに及ばなくても、願わくはそのとき、誰かの日常をふわりと微笑ますことができたらとても嬉しい。
第4047号 星と私と(2026.9.6)
ひとつ
ふたつ
みっつ
数えていきます
よっつ
いつつ
たくさんありすぎて
なぜ数えていたのか
よくわからなくなりました
星を見上げています
赤いの
オレンジの
黄色いの
どれが一番きれいかしら
白いの
青白いの
どれでも良くなりました
だって
どれもこれも美しいもの
この星のここで
私のちっぽけな悩みは
消えていきます
星空を眺めるたびに
第4046号 夏休みの絵日記(2026.8.30)
第4045号 給食の思い出(2026.8.23)
毎朝、登校前に献立表をチェックする。大好きなカレーライスのときは「やったー!」と機嫌がいい。その姿を見て、私も給食が楽しみだったな、と思い出した。
子供のころ通っていた小学校は、学校内に給食室があった。お昼が近づくと学校中にいいにおいが漂い、休み時間に給食室の窓から調理の様子を見ていた。そんな給食の中でも、一番印象に残っているのが「山桃ゼリー」。年に一度しか食べられない、たぶん母校だけの特別なデザートだった。
山桃は暖かい地域で育ち、街路樹としてよく植えられる。学校の敷地にもあって、夏になると赤くて甘酸っぱい実をたくさんつけた。それを先生、生徒総出で収穫する。木登りが得意な子が上から実を落としてくれると、下にいる子の頭にボロボロと山桃の雨が降った。
そして大量の山桃を給食室まで届けると、全校生徒分のゼリーを作ってもらえるのだ。うすいピンクの透き通ったゼリーの上に、山桃ジャムがのっていて、独特のいい香りと甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。自然がくれる夏の味だった。
いまでも時々食べたくなるけれど、卒業以来目にする機会はない。山桃は日持ちがしないので、産地以外にはあまり出回らないらしく、ただかすかに残る舌の記憶を懐かしんでいる。きっとあのおいしさには、みんなでわいわい騒ぎながら収穫して、一緒に食べたうれしさも含まれていたのだろう。もう再現できない、幻の味だ。
子供のころの味覚の思い出は、大人になっても残る宝物かもしれない。給食の献立表には、私の知らないメニューが時々出てくる。どんな味なの、ときくと娘は楽しそうに話してくれる。だんだん学校にも慣れてきた様子で、ほっとしている。給食のありがたさが身に染みている日々だ。
第4044号 おじいちゃん(2026.8.16)
小学5年の夏休み、両親の離婚で転校した
新しい家は母方の祖父母の近くのアパート
家の前がグランドだった
母は私をグランドでラジオ体操している小学生のところに連れて行った
慣れない土地での初めての交流だった
そんなラジオ体操をしていたグランドは、
朝からおじいちゃんたちがゲートボールをしていた
毎朝登校する時に、
「おじいちゃん、おはよう!行ってきます!」
と言うのが日課だった。
おじいちゃんは手を挙げて、
「おぉ!いってらっしゃい」
と笑顔で言ってくれた
ある日おじいちゃんが電器屋さんのオープンセールでプレステを買ってきてくれた
私は初めてゲーム機を手に入れた
本体だけでは何も遊べないプレステに私は戸惑ったが
おじいちゃんにお礼を伝えた
だけど大人になった今、
自転車で行き、並んで買ってくれたその行為自体にもっともっと感謝すべきだったと思う
月日が流れると共に
おじいちゃんが一緒にゲートボールをしている人数が減っていった
最後はおじいちゃん1人になった
誰もいないグランドで1人でボールを打っていた
寂しそうな曲がった背中
今でもその姿は覚えている
私は大人になり年に1回しかおじいちゃんに会わなくなった
会うたびに年老いていく姿
ずっと乗っていた自転車で転倒し施設に入った
コロナ禍になり面会にも行けなくなった
なんとか大切な夫を紹介することができたころには、あまり話せなかった
ただ、あの時の笑顔と同じ笑顔だった
おじいちゃんのお葬式はとても賑やかだった
寂しい思いをたくさんさせてごめんね
おじいちゃんありがとう
みんな仲良くしてるよ安心してね
第4043号 天使になったダンゴムシ(2026.8.9)
小さい頃から虫が嫌いだった。
子供を産んで5年。その時はついに来た。「ママ、ダンゴムシ飼いたい」
ああ、ついに来たか、と思った。洗濯物のポケットからダンゴムシが出てこなかっただけまだマシだけれど。「ダメ」とは言えなかった。自分で世話をすると言ってるし、ダンゴムシは鳴きもしないし飛びもしない。「これがダメ」が通用しない。
そうして我が家に来たダンゴムシは3匹。だんごちゃん、まるちゃん、ダンゴマル。
世話は一週間で母の役目になった。朝晩の霧吹き、餌替え、掃除。毎日見ているうちに、不思議と、段々エビに見えてきた。そのうち、餌を食べる様子がちょっと可愛く思えてきた。のそのそ枝を登っているのを見つけた時には、動いているのが嬉しくて、子供たちを呼んだりもした。予想外にも、この小さな生き物に、私の心は日々揺さぶられていた。
飼い始めて2カ月目、まるちゃんが脱皮不全で死んでしまった。悲しかった。涙が滲むくらいに。
捕まえてきた場所に埋めて、丁寧にお墓を作り、ダンゴムシの飼育ケースの横に天使になったまるちゃんの絵を描いた。
夫に「捕まえてこなければ死なずに済んだかもしれない」と漏らしたことがある。
その時、夫はこう言った。
「涼しい部屋の中で、君が毎日欠かさず霧吹きをして餌を取り替えていたあのダンゴムシたちは、野生で暮らすより何倍も贅沢で幸せな生活をしていたと思うよ」
生死についてのコメントは控えながらも、彼らが幸せであっただろうとだけ言ってくれた夫の言葉を、私は今も時々思い出す。
第4042号 あの日携帯電話を届けてくれた人へ(2026.8.2)
あの日携帯電話を届けてくれた人へ
飲み会でいい気分になった夜更けの帰り道、あと少しで家、というところで転んでしまった。酔っていたせいでズベッと両膝をついてしまって、とても痛かった。楽しかった気分は急転直下、「痛い、痛い・・・」と言いながら起き上がり、半ベソで膝をさすりながら家に帰った。
帰って少し落ち着いたところではたと気づいた。携帯電話が、ない!
あわてて荷物中を探るが、ない。記憶を辿ると、電車に乗っている時まではあったので、いつも入れていた上着のポケットから、転んだ拍子に落ちてしまったのに違いない。
再び半ベソをかきながら、さっき転んだ場所に行ってみるが、やはりない。30分も経っていないのに。
酔いはすっかり覚めていた。ダメもとで交番へ行ってみることにした。
「携帯電話を落としてしまったんですけど・・・」涙目で伝え、警察官に促されるまま書類に、携帯電話の色、メーカーなど特徴を記入していると、若い警察官が奥の部屋から、「これですかね?」と差し出したのは、まさに私の携帯電話だった。
「それです!」と力が抜け、また涙がじわっと出た。まるで池の妖精が「あなたが落としたのはこの斧ですか?」と金の斧を差し出してくれるおとぎ話のようだった。
書類に受け取りのサインをして、交番を出た。携帯電話を盗まれて転売されるなど物騒なニュースが多いので、絶対見つからないと思っていた。こんな夜更けに、わざわざ交番まで届けてくれた誰かに、感謝の気持ちでいっぱいだった。拾ってくれた人に、どうか良いことが起こりますように。祈りながら、私も絶対誰かにいいことで返そう、と痛む膝で誓った。
第4041号 馬と新幹線(2026.7.26)
電車で騒ぐ幼児を見かけると、つい眉をひそめてしまうタイプだった。
けれど自分が父親になると知った日から、すべてが変わった。育児の本を読んだり、インターネットで調べものをしたりして、幸せだがソワソワした十月十日を過ごした。
最近のエコー検査では、胎児の表情がなんとなくわかることもある。
目を閉じている顔を見て「どこか似てるかも」と無理やり共通点を探すこともあった。
赤ちゃんをかわいいと思う気持ちには、ちゃんとした名前があるらしい。「ベビースキーマ」と呼ぶそうだが、そんなこともはじめて知った。
令和五年の年末に息子が生まれ、元気に育っている。
一歳を過ぎたころから、少しずつ言葉も出てきた。
「親をどう呼ばせるのか」という問題が浮上したので、妻と話し合って「お母ちゃん」「お父ちゃん」に決まった。
ところが最初に具体的な単語を覚えたのは「てーび(テレビ)」「きゅーきゅちゃ(救急車)」「まんま(ごはん)」である。
テレビをつけてほしいときなど、リモコンを指さして「てーび」と言うのだから、観察力には感心してしまう。
ある日、ついに息子が私を指さして言った。
「しんかんせん」
「お父ちゃんよ」と妻が何度教えても、なぜか修正されない。
「しんかんせん!」
そんな息子の名前の一部には「駿」の字を入れた。
広くて険しいこの世界を、駿馬のように駆けぬけてほしいと願いを込めた。
父も負けていられない。
「しんかんせん」は明日も家族のために走るのだから。
第4040号 コミュニケーション「さしすせそ」+α(2026.7.19)
「さ」…さすがですね
「し」…しりませんでした
「す」…すごいですね、orすばらしい、orすてき
「そ」…そうなんですね
この「さしすせそ」は、もしかすると、世間によく知られている教えかもしれないが、初めて聞いた私は、なぁるほど!と合点した。
そこで、この「さしすせそ」に、私なりにさらに付け加えたい言葉を思いついた。
題して、「あなたに」。
「あ」…アイコンタクトを忘れずに
「な」…「なるほど」と納得して
「た」…「たしかに」と認めて
「に」…にっこり笑顔で
「さしすせそ」+「あなたに」
このマジックワードで、スムーズなコミュニケーションをとれたなら、人間関係もうまくいくのではないだろうか。
もちろん、そこに、心がこもっていること、相手へのリスペクトがあることこそが、何より大切で不可欠なことであるのは言うまでもないことだが…。




