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今週の風の詩

第3924号 カフェ開店ラッシュ(2024.4.28)

カフェ開店ラッシュ
小林康博

最近、私のまわりでは実家を改装してカフェを始めたり、住んでいる家の敷地内に店をオープンする人が何人かいました。それぞれに共通しているところは、皆さん定年後の第二の人生として店を開業するケースが多く、そのほとんどが少人数で店を切り盛りし、宣伝もあまりせず「ひっそり」と営業しています。

ほとんどが店のホームページはなく、最初は閑古鳥が鳴いて開店休業みたいな日が続いていますが、徐々に来店した人の口コミで客も増え、そこそこ経営は成り立っているようです。
先日、その中のある店に行ってみました。私は店の外にあるあまり大きくない看板を見て「もっと目立つ大きいのにすればいいのに」と言うと、店主は「沢山のお客さんが来ても対応しきれないし、料理出すまでに時間がかかったら迷惑かけるのでこれでいいんです」

ほとんどのお店が不定休だったり、週末だけ開店していたりしてけっこう気まぐれです。アットホームな雰囲気で家庭料理をメニューに入れたり、趣味を活かして手工品を店内で販売したりしています。
店主の仲間に絵の上手な人がいれば店内に飾る絵を描いてもらい、それを見に来る仲間の居場所になったりします。
ある店では副業(いや本業かも)にサクランボやブドウを栽培していますので、ランチのデザートに採れたてのフルーツが出てきたりしてお客さんに喜ばれています。またある店ではプロ・アマのミュージシャンに店を開放してライブを定期的に開催しています。

空いていた実家の再利用は「空家問題の解消」に一役かっていますし「老後の生きがいづくり」にもなっています。
カフェの店主や、そこにやってくる人たちをみると老後はコツコツと貯めたお金で地味に暮らすより、その蓄えを仕事や趣味に注ぎ込み楽しく暮らしたいと考える高齢者がいかに多いか、私はそんな人達の見せる「笑顔」「ポジティブな生き方」が好きなのかもしれません。

第3923号 伝説の最後(2024.4.21)

伝説の最後
切島カイリ(ペンネーム)

 仲間内でまるで都市伝説のように語られる焼肉屋があった。彼ら曰く「炭火焼肉をどれだけ頑張って食べても3千円を超えない」のだ。「そんなことあるわけない」と思って私も行ってみたが、どれだけがんばって食べても会計が3千円に届かない。びっくりした。


 スタッフはいつも丁寧な対応で、地元の人たちが楽しそうに肉を焼いている。「あと3席くらい増やしたほうが採算がとれるのではないか?」「何十年もお値段が据え置きなのだろうか?」など、みんなで安すぎる理由と対策を勝手に話しあった。


「今日で閉店するらしいよ」

という連絡を聞いたとき、驚いたけれど「なぜ?」とは思わなかった。あの価格設定ではじゅうぶんな儲けなどないだろう。あの店の経営者はきっと人が良すぎたのだ。


 閉店に間に合うように、まだ雪の残る商店街を抜けて店にたどり着くと、最後の夜を楽しむ常連客たちで賑わっていた。「最後だからって、かなり安くしてくれてますよ」と先に来ていた知り合いが教えてくれた。まったく、どこまで人の良い店なんだろう。焼肉の香りと人々の笑い声に囲まれながら、私たちはできるだけ高い肉を注文し、飲み物もいっぱいおかわりした。


 スタッフと記念写真を撮る人たちが何人もいて、その盛り上がりが、この店が地域にどれだけ愛されていたかを証明していた。普段は厨房にいて、なかなか姿を見ることもなかった店長は、とても穏やかで誠実そうな顔をしていた。深々と客に頭を下げている。

「俺さ、あの店長がまた店を始めて、今度はもっと高い値段設定になったとしても、その店を選びたいよ

仲間の一人がポツリと言った。


 最後にレジで「おいしかったです。ありがとうございました」と伝えた。お会計は3200円。特上のお肉をあれだけ注文したにも関わらず、だ。本当に商売下手な人たちだ、と少し呆れる。


 私たちは、店が閉まる前にタクシーに乗った。

平凡な人生の中で特別な出来事なんてそう起こらない。でもこんな日がきっと、忘れられない特別な夜に数えられるのだろう。遠ざかる「焼肉」の赤い看板を見ながら、私はこのことを愛しく思い出す未来を想像した。

第3922号 杖と通勤電車(2024.04.14)

杖と通勤電車
八柳サエ

40代の頃、足の骨折で松葉杖の世話になった。街なかでの松葉杖は、足が悪いアピールとしてはかなり目立つ。でも、治ればもと通りに歩けると思うのか、通勤電車ではほとんど席を譲ってもらえなかった。やれやれ、思いやりの薄い時代になった、と気がふさいだ。

還暦を過ぎ、股関節症で歩くのに痛みが伴うようになった。高齢者の仲間入りにはまだ早い、杖をついて歩くのは抵抗がある。それでも痛みのためしぶしぶ杖を試すと、歩行が格段に楽だ。しょうがない、杖に頼ろう。

自分用の杖を求めようとすると、種類や販売店、価格帯など、バリエーションが豊富で迷う。高額なものには手が出ないが、百円ショップのものはしっくりこない。季節や服装を問わないのはもちろん、この期に及んでもやはり、少しは洒落ていて欲しい。

結局これっ!と決めてその場から使う。杖つく人、デビューである。すると、以前より街を歩き回れると思えて、少しワクワクさえした。

問題は、朝の通勤電車である。座れないと1日の疲労感が大きい。松葉杖の経験から周囲の思いやりは期待できない。杖で優先席の前に立つのも、これ見よがしに席を譲れと言わんばかりで気が引ける。ええいっ、立ちっぱなし覚悟で電車に乗った。

驚いた。すぐに席を譲られたのである。すっと席を立ったのは中年の婦人。申し訳なく、気恥ずかしいような嬉しさ。ありがとうございます、と微笑み返す。

毎日同じ電車に乗れたわけではなかったが、席は毎朝、譲られた。10代と見られる学生から50代くらいの方まで、男女を問わず、杖を見てすぐに席を立つと思えた。世の中まだまだ捨てたものではない。通勤電車を通じて、杖が人の思いやりのありがたさを教えてくれた。

電車で席を譲られるのが、本当は、杖ではなく老いの見た目からだったとしても、今はまだそれを認めたくはない。杖つく人となって、却って心の天井が上がり、歩行が軽やかになったのだから。

第3921号 駐輪場のおじさん(2024.4.7)

駐輪場のおじさん

匿名

 毎週土曜日は息子二人を連れて遊びに行くのが習慣だ。今年で長男は8歳、次男は6歳になる。
 いつも駅前の駐輪場に自転車を止めて遊びに行く。その日も、私は使い古した電動のママチャリで、長男と次男は自分のぴかぴかした自転車で駐輪場にたどり着いた。
「右、空いてるよぉ」
 混んでいることが多いその駐輪場に入ると、空いている場所を探す前におじさんが声をかけてくれた。ぺこりと会釈して息子たちを右のスペースへ誘導する。
 二人とも空いたスペースに、自分で入れるんだとばかりに左右の自転車をかき分けかき分け、かちゃりとセットされる位置まで一生懸命に自転車を押し入れている。
 私は二人の様子を見ていた。まだ小さな次男は特に、手伝おうかと思うほど悪戦苦闘していたが、そのまま見ていた。自分でやりたいというキラキラした瞳があった。苦労して入れられたなら大成功、入れられなくてもできるところまでできたら成功だ。困るまで見ていてやろう。
「二人とも、ずいぶん大きくなったよな」
気が付くと、駐輪場のおじさんが隣にいた。遠くを見るような微笑みを浮かべている。
「ええ」
口下手な私はそんな一言を漏らすのが精いっぱいだったが、おじさんの言葉を聞いたとき、ああ、ずっと私たち親子のことを見ていてくれたんだな、と初めて知った。
 その瞬間、私の頭の中を、息子二人をママチャリのチャイルドシートに乗せてやってきてあくせくしながら二人を下ろして自転車を入れていたあの日、長男が自転車に乗り次男だけをチャイルドシートに乗せて来たあの日、言うことを聞かない息子たちに怒りながら駐輪場をあとにしたあの日、様々なかつての「あの日」がさっと駆け巡った。
 なんだか泣きそうな気分だ。子育ては大変だ。でもやってきたんだな。
 それは泣きそうだけど、何とも言えない優しい気分でもあった。
「いってらっしゃい」
いつものように、おじさんは私たちにそう言った。



第3920号 父の卒業(2024.3.31)

父の卒業
MAIKO(ペンネーム)

卒業。
と言っても、学校ではない。車からの卒業だ。
元々、今年の秋に卒業予定ではあった。
卒業前に、一緒にやりたいこと、行きたい場所はたくさんあったはずだ。
でも、思ったようにはいかなかった。
原因は結局わからなかったが、春先に急に元気がなくなり、動くことが億劫になった。
歩くのもスローになり、車の運転もできなくなった。
家族の誰もが、また運転することなく、車とはお別れかな、と思っていた。

しかし、父は違っていた。
いつ頃からか、少しずつ元気を取り戻し、毎日、近所に歩いて出かけていくようになった。
そしてある日、こんな一言を口にした。
「運転席に座ってみようと思う。それでもし行けそうだな、と思ったら、行ってみるよ」
しばらくして駐車場を見ると、父の車はいなかった。
何と、車と久しぶりの散歩に出かけたのだ。
あっという間の出来事だったけれど、父の車に対する強い思いはもちろん、
誰もが無理かも、と思ったことを自分の力で成し遂げたことに、
大きな拍手を送らずにはいられなかった。

何度かその後も、長い距離ではなかったけれども、ドライブに出かけることができた。いよいよお別れの日が決まると、丁寧に、何日もかけて、外も中もきれいにしていた。
最後のドライブの行き先は、車がやって来たディーラー。
「君はここから来て、長い間付き合ってくれたね。ありがとう」と言ってきたという。
卒業の日、家族全員で父の相棒を見送った。写真もたくさん撮った。
「悔いなし」
そう言って、父は家に入った。

第3919号 燕来たる(2024.3.24)

燕来たる
Y・M(ペンネーム)

自宅は結構な田舎にある。周囲は農家が多い。
住み始めたのは2人目のこどもが生まれてからだから、もう24年目だ。
今年の春、燕が軒先に巣を作り始めた。小柄な、まだ若い夫婦に見える。10年以上
前に一度だけ訪れた夫婦がいたが、半ばにして巣が落下し、それ以来燕とは無縁だった。
が、なぜか今年、突然彼らはやってきて、糞を落としながら建材を運び、小さい(ように見える)巣を完成させた。
 なんだかうれしい。これまでも雀や蜂が巣づくりをしてきたけれど、燕に運ばれたことが還暦を迎えた夫婦の生活に幸福感をもたらしてくれている。私たちは、彼らの営みの邪魔にならないよう、監督し過ぎないよう、通りがかりに様子を見るのが楽しい。
 夜、巣からほとんどはみ出す形で寝るんだ、という発見や早朝からずっと働いているんだ、という感心など、初めて大家になったからかな、あれやこれや新鮮な感動がある。
 時を同じくして、紆余曲折を経て長めの学生生活を送っていた次男の卒業が見えてきたり、男同士の確執が強くて時間がかかっている長男と夫の関係が前進したり。
 燕は、なにやらいろいろ運んでくれている気がする。でも、まだまだ道の途中である。
これからも雛の誕生や巣立ちをできるだけそっと見守りたいなと思う。

第3918号 32年ぶりの同窓会(2024.03.17)

32年ぶりの同窓会
                         モンブラン(ペンネーム)

50歳の節目の機に、卒業以来初めての高校の同窓会が開かれた。

18歳で卒業し、まさに32年ぶりの友たちとの再会。進学、就職、結婚、子育てを経ての社会復帰と、慌ただしい日々を過ごしていた私は、8回もの引っ越しや夫の転勤、メールアドレスの変更を繰り返すうち、同窓生との連絡が途絶えてしまっていた。

32年は、「久しぶり!」と簡単に言えないほどの時の重み。そもそも私を覚えてくれている友達なんているんだろうか。不安とドキドキを抱え、地方に住む私は早朝から新幹線に乗り、会場のホテル 向かった。

会場に着くと「○○さん!」と声をかけてくれたのは、1年生の時のクラスメイト。そこからは怒涛の握手と抱擁、弾ける笑顔あり、涙あり。確かにみんな、30年を経て外側に変化はある!体重が二倍になったという男子、黒髪が流行のグレーヘアになった女子、髪そのものが少なくなった友もいるし、目尻や額に刻まれたシワや頬に浮かぶシミは、積んできた経験の証。それでも変わらないのは目の輝きと声、誰もが持つ「その人らしさ」だった。

ここでは気取る必要もなければ、無駄な社交辞令や挨拶も必要ない!何よりみんな、優しくなった。当時は思春期真っ只中、強烈な自我を持て余しながら思いきり突っ張って、斜に構えていたティーンエイジャーも、カドが取れ、まあるくなった。その優しさが、心地良い。

全学年の半分、90名ほどが集った同窓会はなんと4次会まであった。新幹線の時間があったので私は二次会で帰ったが、あの1日は私にとって、忘れられない時となった。多くの友とライン交換をし、写真を撮って近いうちの再会を誓った。


第3917号 冬のたのしみ(2024.03.10)

冬のたのしみ
メイコ(ペンネーム)

 仕事をリタイアしたのを機に、居間に小さな火鉢を置きました。こどもの頃、
祖父の傍らにいつも火鉢があり、ずっと心の片隅で「火鉢、欲しいなあ…」と
思っていました。でも、家を空けることが多い暮らしには向かない、と諦めて
いたのです。
 朝起きたらまず、炭に火を起こします。最初、なかなか火をおこすことがで
きず、調べたところ、「煙突効果」を利用するのがコツのようで、空き缶と網
で火起こし器を自作し、台所のガス台で何とか火が起こせるようになりました。
寝起きでボーっとしたまま火が付くのを待っていると、だんだん目が覚めてき
ます。
 燃え始めた炭を火鉢に移し、やかんをかけ、朝のお茶の準備です。お茶を飲
みながら、朝食用に魚の干物などをちょっと焙りたいところですが、魚や肉は
煙がすごく出るので、居間火鉢には向きません。煎餅や前日の残りご飯で作っ
た焼きおにぎりが朝ごはんの定番となりました。
 次は10時のおやつ用にさつまいもを焼きます。いろいろと試してみて、水で
湿らせたキッチンペーパーを巻いたさつまいもを、アルミホイルで包んで焼く
方法に落ち着きました。時間をかけてじっくり焼いたさつまいもは、毎日食べ
ても飽きることがない美味しさです。
 火鉢は食べる楽しみだけではありません。時代劇、冬の室内のシーンには必
ず火鉢がありますが、以前は「暖かいのは手元だけで、部屋は寒いんだろうな」
と思いながら観ていました。ところが小さな火鉢でも、暖房効果はなかなかの
もの。気密性の高いマンションの一室の我が家の居間は、ほかに暖房器具を使
わなくても厚着していれば快適に過ごすことができます。
 そしてもう一つの火鉢の楽しみは、火鉢を囲んで家族の会話が弾むこと。焚
火には癒しの効果があるそうですが、同じような効果を炭火にも感じます。
 我が家の冬の居間になくてはならない存在となった火鉢。換気を忘れず、こ
の冬も火鉢のある暮らしを楽しみたいと思います。

第3916号 できることから始めよう(2024.03.03)

できることから始めよう
山極尊子

東京駅に向かう通勤時間の電車で、赤ちゃんを抱っこしたお母さんと、夏休みなのか小学校ぐらいの男の子が2人乗ってきた。電車は混んでいて席はない。

子供たちとお母さんは電車のドア入口付近の隅によりかかり、窓をみながら何やら話している。私も3人子供がいるため、座るより立っていた方が楽な時もあることは分かっていたが「もしよろしかったら、ここに座りませんか」とお母さんに声をかけた。

お母さんは笑みを浮かべて「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ」と言って、席には座らなかった。その時だ。小学校ぐらいの息子さんが驚いたようにこう言ったのだ。

「優しい人だね、お母さん」と。

私はその一言が家に帰ったあとも心に残っていた。子供の純粋な表現にかわいらしさを覚えると同時に、当たり前の行為で子供にその言葉を言わせてしまう社会が悲しいなと思ったのだ。私も妊娠中に電車通勤を経験したが、誰も声をかけてはくれなかった。席を譲ってほしいという気持ちより、社会に気にされていない自分がいることに孤独を感じたのだ。ひと昔前までは日本人は当たり前に声掛けをしていたのではなかっただろうか。子供を持つお母さんに席を譲っただけで「優しい人だね」と子供を驚かせてしまう世の中ってなんだろうか。私は子供に危険性を教えるだけでなく、世の中には「優しい人」もたくさんいることを教える必要があるのではないかと思っている。大人が率先して日常生活の中で優しい心配りを意識するだけで、子供は「優しい世の中が当たり前になっていくと思うのだ。

「優しい人だね、お母さん」

あの男の子の声が今でも思い出される。

子供にとって優しい社会が当たり前だと思ってもらえるように…。

そして、優しい人がいる日本が当たり前だと思ってもらえるように…。

私が出来ることから始めていこう。


第3915号 冬の片手袋(2024.02.25)

冬の片手袋
石井公二

寒い日の朝。家のすぐ横に立っている電柱に、透明のビニール袋が吊り下げられていた。中にはオシャレな手袋が片方だけ入っている。その電柱はゴミ集積所になっており、その日はちょうど回収日。それで分かった。恐らく電柱の下に片手袋が落ちていて、それを拾った人がゴミと一緒に捨てられないよう、わざわざ袋を用意してぶら下げたのだろう。

冬になると、こういった事情で生まれた片手袋をあちこちで見かける。ガードレールの支柱に挿されたもの、金網に差し込まれたもの、植込みの上に置かれたもの。「東京は人間関係が希薄で、人と人との繋がりに乏しい」、と語る人は多い。しかし、そんな大都会では今日もまた、沢山の人達が見ず知らずの人が落とした片手袋を拾い上げ、目立つ場所に置いてあげている。

地球を救うほど大袈裟なものではないけれど、我々が確実に持ち合わせているささやかでさりげない優しさ。日々すれ違う自分とは何の関係もない人々とも、「片手袋を落とし、拾われ」といった思いがけないことで人生が交差している可能性。冬場の片手袋達は、様々な希望を可視化させる。

電柱に吊り下げられた片手袋を見かけた日の夜、激しい雨が降った。翌日の朝、同じ場所を通ってみると、ビニール袋がジッパー付きの袋に変わっていた。片手袋が雨に濡れないよう、さらなる気遣いが施されていたのである。

東京は本当に冷たい町だろうか?

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