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今週の風の詩

第3947号 ひっそり(2024.10.6)

ひっそり
Kayoko(ペンネーム)

今日は元気が出ない
ずっと家に居る
どこへも行きたくない
お金は使わない
食べたい物も無い
時間がきたら消化の良いものだけを少しだけ

だれも来ない
だれとも しゃべらない
テレビはつまらなくて消す
昨日の温めなおしを食べ済ませる
こんな日も たまにはある

どんなに暇でも一応生きている
今日は一日 お休み
テレマンのヴィオラ ラジオから流れ
モミジは そよそよと やわらか

第3946号 赤いホーロー鍋(2024.9.29)

赤いホーロー鍋
大澤 江里子

 家族が集まるときには、決まって寒天を寄せてもてなしてくれた祖母。牛乳寒天、珈琲、みかん。レパートリーはそのみっつの味だ。
 しっかりと冷やし固められた寒天は、水にくぐらせた天然石のように瑞々しくて艶々。ぷにょんとした雰囲気のゼリーとは違う、海藻のコリコリとした食感も気持ちがいい。みっつの味の中でも牛乳寒天ばかりを食べてしまうから、よく注意されたけれど、おばあちゃんの牛乳寒天が大好きなのだから仕方ないじゃない。
 おばあちゃんには娘が4人いて、孫の中で女はわたしひとり。わたしはすくすくとおばあちゃん子に育った。近所に住んでいたから、習い事のピアノがない日には、よくおばあちゃんのところへ行って遊んでもらった。田畑に出て水やりや野菜の収穫を手伝い、小豆を炊いておはぎを作ったり、故郷の笹団子を一緒に作らせてもらったり。ほかにも浴衣を仕立てたり。縫い物をするときもとなりで見ていた。おばあちゃんの両手からは、鮮やかで華麗な技が次々と出てきて、なんてかっこいいんだろう。
 ある日、小学生のわたしは意を決して、おばあちゃんに牛乳寒天の作り方を教えてほしいとお願いした。この味をわたしが継がなければ、なぜだかそう思ったから。赤いホーロー鍋を前に、おばあちゃんとの牛乳寒天作りが始まる。鍋底から全体に、たえまなく優しく木べらを動かし続ける作業に、手首が悲鳴をあげそうだった「そろそろいいかなぁ」幾度となく聞いてみるけれど「まだまだ」という答えが返ってくるのだった。
 いつも、こんな風に手間と時間をかけて作ってくれているんだね。おばあちゃんのような人になるには、とても簡単ではないことを思い知った。
 小学生の孫に対してもごまかさず、本気で向き合い、いつでも教えて見せてくれた。もう直接会えなくても、おばあちゃんの生き方をそばいにいて見ていたわたしは、人生に困難なときが来ても、進む方向をおばあちゃんが指し示してくれる気がするからなんだか心強い。大丈夫だよおばあちゃん。

第3945号 小さなもの(2024.9.22)

小さなもの
こもれび(ペンネーム)

小さなもの

この大きな世界は
小さなもので溢れてる。

いつも、この世界は
小さなものが支えてる。

店の入り口で 「お先にどうぞ」と
言われただけで、嬉しくなった。

それは 風に舞うくらい
小さなこと。
忘れ去られるほど
小さすぎる。

だけど、大きな世界で
小さなものがなくなれば
きっとこの世界の
灯りが消えてしまう。


迷子のハンカチ拾ってあげたら
「ありがとう」って、微笑まれた。

それは 人に話したら
笑われそうなこと。
しばらくたったら
忘れそうなこと。

いつも、大きな世界を
小さな灯りがともしてる。

今日も、大きな世界は
小さな愛で溢れてる。
いつも、この世界は
小さな愛がつくってる。

第3944号 ピーラーとマッシャー(2024.9.15)

ピーラーとマッシャー
まぶた(ペンネーム)

今年の四月からグループホームで調理の仕事をしている。
私と一緒に入社した人が
「百均のものばかりやな
ピーラーとか切れへんよな」
って言っていた。
そういえば私の家にはピーラーという物がなく使ったことがない。          
母も包丁で野菜や果物の皮を剥いている。

友人にピーラーをしらなかったという話をしたらびっくりされた。
「あれ凄い便利やのに
私の所なんて一人一個持ってるよ」
「百均のとかでも切れるの」
って聞くと
「当たり前やん」
と笑われた。
次の日、職場で試しに使ってみたら皮がスラスラと剥けて感動した。
初めてピーラーを使ったって言ったら珍しがられた。さっそく仕事
帰りに百均で購入してみた。

なぜ今までこんなに便利な物を使わなかったのだろう。きっとまだ
知らない未知なる物がいっぱいあるのだと思う。

そしてまた調理場で知らない物を発見。マッシャーと言ってじゃがいも
等を潰すそうだ。家ではすり鉢とすりこぎを使っていた。私はまた百均
に行ってマッシャーを買うかもしれない。

第3943号 糸絵の具の楽しみ(2024.9.8)

糸絵の具の楽しみ
池田 朋美


 六年前の秋の日、庭に出ていた私は、布団を取り込む隣りのおば様からベランダ
越しに声をかけていただき、久らくの間あれこれとお喋りを楽しんだ。子ども達も成人し、子育てを終えた時期だった。おば様が仰った。「お仲間と楽しむ趣味以外に、自分一人で楽しむことができる趣味を持つといいよ。」と。見事に背中を押していただいた気がした。
以前から刺しゅうをゆっくり時間をかけて楽しんでみたいと思いながら幾年も経っていた。
 今、毎日のように就寝前の二時間程を刺しゅう時間にあて、三~四ヵ月も一つのペースで作品を仕上げている。今年で六年目。いろいろなステッチの仕方がある中で、図案を見ながら糸をクロスして絵を描いていくクロスステッチが特に好き。私は刺しゅう糸を、糸絵の具と呼んでいる。糸絵の具で仕上げた絵を、額装してもらい、よそ行き姿にお洒落した作品を部屋に飾ることがとても嬉しいこと。刺しゅうの良いところは、それ程場所をとらず、家族と語らいながら作業できること。時にはラジオを聴きながら。現在夫婦二人暮らしになって四年目。夜、刺しゅうをしながら、夫と静かに穏やかに話しながら針を持つ時間がかけがえのないものに思える。また手仕事はまとまりのない心の中を、いつのまにか整理整頓してくれる。心がととのい、ぐっすりと安眠できる。
 絶妙なタイミングで、すとんと腑に落ちる言葉をかけて下さったお隣のおば様に感謝する日々。これからも眼を労わりながら、一日でも長く好きな刺しゅうを楽しもう。

第3942号 結婚式(2024.9.1)

結婚式
HIROKO(ペンネーム)

「結婚式は親のためにするものよ」
無事に入籍を終え、やや後ろ向きな気持ちで結婚式場の見学に行った際、
ウェディングプランナーさんに言われたことだ。「そんなのブライダル
業界のセールストークだろう」とひねくれ者の私は思った。
ただでさえ、人から注目を浴びることが嫌いな私は自分のおめでたい
パーティーを開くなど最も避けたいことだった。だが、夫のどうしても
やりたいという意向もありしぶしぶ合意。実施が決定した。
これは私の不思議なところだが、どんなに後ろ向きなことでも、いざや
るとなると「どうせやるなら」と力が入る。
ネットにはおすすめの引出物やら、料理にはこだわるべし等様々な
how toが載っていた。こうして情報の波にのまれながら私は結婚式を
終えた。
結婚式からしばらくたったある日、母から1件のLINEが来た。「素敵な
お友達に恵まれたようで安心しました」と。
よく考えると、私が幼い頃の私の友人関係など、母がすべて把握できる
限られた世界だった。しかし、20代後半となった今、むしろ母が知らな
い人ばかりである。だからこそこうして娘が多くの人たちに祝われて
いることに安心したのだろう。
そんな母の喜ぶ姿を想像して、「結婚式は親のためにするものよ」この
言葉の意味を理解する日となった。

第3941号 日本製の向こう側(2024.8.25)

日本製の向こう側
酒井孝明

普段より少し良いTシャツを買った。そのTシャツは高いだけあって生地がサラサラしていて気持ちが良く、汗も吸ってすぐ乾く。いつもなら、着た後は洗濯機に丸めて入れるだけなのだが、このTシャツの時は違う。ちゃんと洗濯ネットに入れて洗濯をする。洗濯が終わり、干す時には太陽で色が焼けないように、ひっくり返してハンガーにかける。そのひっくり返した時にふと気になった。白いペラペラしている洗濯表示が脇についている。見てみたがよくわからないマークが並んでいて、その下に『日本製』と書いてあった。食べ物で気にしたことはあるが、服がどこで作られているかを考えたことはなかった。日本製と言われるといい作りなのだろうかとありがたい気持ちになる。晴れた空に洗濯物を干しながら思う。日本製ということは、言い変えれば、日本で作っている人がいるということ、そこには会社があり雇用がある。
ふと、日本製という言葉の向こう側にある深い意味を感じた。

第3940号 今どきの3歳児(2024.8.18)

今どきの3歳児
青木いな美

離れて住む2人の孫は3歳と5歳です。
お正月、ゴールデンウイーク、お盆の年3回我が家に遊びに来てくれます。
来るたびに目を見張る成長が見られ、驚かされることがしばしばです。
特に言葉を覚えておしゃべりが盛んになってきた3歳の男の子は面白いです。
先日も、お礼のありがとうを言わせると、「ありがとう」といった後、
「おばあちゃん、どういたしましては?」と催促されてしまいました。
生まれた時からスマートホン、パソコン、人工知能の数々に囲まれていて、
新しいものに全く動じることがありません。
ある時、「おばあちゃん、リンゴは英語でなんて言うの?」と聞かれ、得意げに
「リンゴはアップルだよ」と答えました。
すると今度は、「スイカは英語でなんて言うの?」と聞かれました。
スッと出てこず「えーと」と考えながら返事に困っていると、「おばあちゃん、
大丈夫。ヘイシリに聞くから!」と言われてしまいました。
そして、私のスマホをもって「ヘイシリ!スイカは英語でなんて言うの?」と
尋ねていました。
今どきの3歳児のこの行動に、感心するやらあっけにとられるやらで、思わず笑ってしまいました。

第3939号 「海の幸」と「土と幸」(2024.8.11)

「海の幸」と「土の幸」
小林 直

  母が元気だった頃の話。母には、5人の子供と14人の孫がいた。そんな母を囲んで、沼津の実家には、毎年夏と冬に集まるのが習慣になっていた。用事で参加できない者を除いても、いつも15〜6人は集まった。そしてテーブルには海の幸が並んだ。その中心にあるのは、カニだった。カニは冬のイメージが強いが、夏にも食べられる。毛ガニ、花咲ガニ、ワタリガニ、そしてカナダ産のズワイガニなど。この日のために、沼津の市場から仕入れてくるのだ。実家は干物屋をやっていたので、比較的安く仕入れることができたのだ。

  嵐のように現れて、嵐のように去って行く。後に残るのは、いつも山のようなカニの殻だった。そんな台風家族たちが、台風の目に入ったように、静かになる一瞬がある。カニを食べ始める瞬間だ。男3人兄弟は、しゃべるのを一切やめて、黙々と食べる。半年分のカニを、競うように食べる。食べ続ける。「ああ、食った、食った!」とお腹をたたく末の弟には、いつもスピードと量で負けていた。そんな男どものカニ食い競争を、やや冷たい目でみる妻と子供たち。でも母は、顔をカニのように赤くして、しわくちゃにして、いつも大笑いしていたな・・・。

  月日が大きく流れて、我が家の3人のムスメも大人になった。上の二人は結婚して、家族を連れて、夏と冬に集まるようになった。私たち二人暮らしには、7〜8人は台風襲来だ。思い出の沼津に較べたら人数的には小型の台風だけど、ハリケーンのように元気な男の子もいる。トルネードのように躍る女の子もいる。そしてテーブルの中心に並ぶのは、妻が畑で育てた自前の野菜料理だ。農婦歴30年、100坪の畑で収穫できるのは、なす、トマト、キュウリ、ズッキーニ、ピーマン、カボチャ、トウモロコシ等々。黄色いスイカはデザートだ。

  沼津が「海の幸」なら、佐倉の実家は「土の幸」だぞ。みんなよく食べる。食べてくれる。お土産は、もちろん野菜だ。「ごちそうさま〜」といって元気に帰って行く夏は、ごちそうサマ〜!と聞こえる。特に今年の夏は、3番目の娘がカレシを連れてくる予定だ。ちょっとまた大型になる。夏が待ち遠しいな。こんな夏の台風なら、大歓迎だ。

第3938号 「紺色とピンク」(2024.8.4)

「紺色とピンク」
A.美代子(ペンネーム)


 6才と4才の孫が近所の友達と夏祭りに行くとのことで、お揃いの浴衣を縫った。
 ところがその前々日、上の子が「ねえ、ばあば、まあちゃんお祭りに行かないって。」と言った。
「エッ?あんなに踊りが上手なのに?。」
「違うの。まあちゃんはひとりっ子だからね私達がお揃いの服で遊ぶとしょんぼりなの。浴衣もね、お母さんが買ってくれたのが紺色だったんだって。」
「具合いが悪くなくて良かった。」
と安心してから布を買うため外出した。空は群青色の折り紙を貼り付けたようで、真っ白な入道雲はガッシリとスクラムを組んでいた。
 太陽はジリジリと音を出し道路も光っていたが気にならなかった。
 次の日は、まあちゃんが遊びに来てトランプをして賑やかだった。
 私はそれぞれの名前を呼びながら3人に
「はあい、どうぞ出来ましたあ。」
と、ピンクの花柄の浴衣を渡した。孫が同時に声を合わせて
「どうもありがとう。おばあちゃん。」
とお礼を言った。
 まあちゃんは自分のひざの上の浴衣を見て動かなかったが、パッと顔を上げて
「おばあちゃん、これ私の?後で返すの?」と真剣な目で聞いてきた。
「いえ、いえ、まあちゃんのよ、あげる。」
「ワアッイ、凄い、スゴーイッ。」
と拍手しては飛び上がるのを繰り返すので笑って私も手を叩いた。すぐに3人が浴衣を持って部屋の中をクルクル回ったのでお花畑のようになった。
 ドドドーンッ。ドドドーンッ。と大太鼓が鳴り響く夜、踊りの列に入った3人の浴衣が目立った。
 でも紺色の浴衣も可愛らしかっただろうなあ、と思った。

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