今週の風の詩
第3976号 3つの宝もの(2025.4.27)
第3975号 森の鈴蘭(2025.4.20)
第3974号 バッグのなかのぬいぐるみ(2025.4.13)
すぐ前の二人掛けの席には、30代前半くらいのご夫婦が3歳くらいの双子の女の子を連れて乗っている。私の真正面の席にお母さんと一緒に乗っている子はおとなしく座っている様子だったけれど、斜め前のお父さんの膝に乗っている子はぐずっていた。しばらくすると泣き出してしまってなかなか泣き止まない。なかなか大きな泣き声だ。
私はバッグからおもむろに小さなパンダのぬいぐるみを取りだし、前の座席の背もたれの上からパンダの黒い耳と白い頭をちらっと覗かせた。そうしてぬいぐるみの頭を左右に揺らして少しずつ上に動かしていくと、女の子がピタリと泣き止んだ。びっくりしたような表情でパンダをじっとみつめていたかと思うとにっこりと笑顔を見せ、右手を伸ばしてパンダをぎゅっとつかみ……………なんてことが起こればいいなと思う。いつも思う。
けれど私のバッグにパンダのぬいぐるみは入っていない。仮に入っていたとしても、いざとなったら何もしないだろう。余計に泣かせてしまうかもしれない、親御さんに睨まれるかもしれない……そんなあれこれを考えて、結果何もできないだろう。
新幹線の女の子は、結局1時間近く泣き続けていた。バッグのなかにぬいぐるみがあったなら…、と思ってしまう。
いつの日か、バッグにしのばせておいた小さなパンダのぬいぐるみをおもむろに取りだしてみたい。大泣きしていた子どもがにっこりと笑ってくれる笑顔を見てみたい。
第3973号 母の野良着(2025.4.6)
第3972号 ベランダの静かな同居人(2025.3.30)
自由が増えた反面、さみしさを感じることも多い。
そんななか仕事の関係でチューリップの球根をいただき、初めてチューリップを育てることにした。
球根は30個ほどあり、私の賃貸では育てきれないため、実家の両親と姉夫婦と分けてそれぞれの家で育てることにした。
チューリップは、寒いうちに球根を植えて、たくさんの水を与えることで春に花を咲かす。
芽吹く日を楽しみに水やりを続けた。
そんなある日、小さな小さな芽が出ていることに気がついた。
姉の家でも同じように芽が出て、少し遅れて実家の庭でも芽が出た。
それぞれの家の赤ちゃんのような芽の写真を送り合った。
毎朝の水やりは、チューリップの成長を確認するだけでなく、その日の天気のこと、春が近づいていること、離れて住む両親や姉のことを考える心穏やかな時間になった。
出張などで数日家を空けたときは、帰ると真っ先にベランダのカーテンをあける。
すくすく成長しているチューリップたちを見ると、あたたかく豊かに気持ちになる。
新生活を始める方が多いこの時期、寂しさを感じる方は、植物を育ててみるのはいかがだろうか?
ベランダの静かな同居人は、静かに寄り添い、新しい季節を届けてくれる。
第3971号 ソメイヨシノ(2025.3.23)
第3970号 ムスメのワガママ孝行(2025.3.16)
3月になった。
新卒以来の単身生活にピリオドを打ち、実家に戻って来てからもうすぐ丸2年が経つ。
一切他人を気にする必要なく、自分のペースだけで生活全てを構築できる独り身の日々はさしずめ本当に「おひとり様天国」で、その生活が長かったこともあり、出戻り当初はフラストレーションを感じたこともあった。
自宅のリフォームや近所の方の引っ越し、建て壊し。戸建の建設ラッシュにマンションの解体。
この2年間だけをとっても、実家も、そしてこの近辺も随分変わりしたが、その中でも痛感したのは、「自分の両親も年を重ねる」という当たり前の事実だろう。
頭では理解していても、時たま会うのと毎日顔を合わせるのでは、その実感はまるで違った。
『親孝行したい時に親はなし」という言葉があるが、これはなにも親の死後に限った話ではない。
無論親孝行したいが為にではなく、私自身が共に行きたいから誘うわけだが、例えば旅行に行こうと誘っても「もうそんな体力ないから」と断られてしまったら、それはもう実現できないことなのだ。
幸いなことに私の両親は未だ健在だが、それでも親自身に行動が伴う場合、制限なしの共有の思い出を作れる時間は切ないほど短い。
「不変で絶対的存在だと思っていた両親でも「いつか」に近づいている」
避けてきたこの事実を直視すると途方もない悲しみと焦りに襲われるが、未だなんとか親の健在な今の段階で実感できただけでも、私は実家に戻ってきて本当に良かったと思う。
どんなに冷たくしてしまっても変わらず31年愛を注ぎ続けてくれた大好きな両親に、私はもっとたくさんの思い出作りの提案していきたい。
そしてあわよくばその実行の過程で体力をつけて、元気にどこまでも長生きして欲しい。
まだまだずっと一緒にいたいんだからね。まだまだずっと、私のワガママに付き合ってもらうよ。
一緒に出掛けて一緒にたくさん過ごそうね。だからずっと長生きしてね。
第3969号 六年生ありがとう!(2025.3.9)
わたしは、六年生にやさしくしてもらいました。
くつばこそうじがおわって、チャイムがなるとき六年生がちかづいてきてくれて、
「かわいい。」といってくれたから、やる力がでてきました。
そのときは、六年生にあまえちゃいました。
六年生が中学校へいっても、またあいたいです。
これからも、中学校へいっても、むずかしいじゅぎょうがあったりしても、
ぜったい、がんばってほしいです。
第3968号 ランドセルと制服(2025.3.2)
入学おめでとうの文字と共に、ずらりといろんな色のランドセルが並んでいた。形はほとんど同じだが、色はもちろん、施された刺繍やハトメの形、内側の仕様の違いにはかなりの種類があって、決めるのが大変だった。色は好きだけど細かいところが気に入らなかったり、表にリボンやハートの刺繍がたっぷり入っているものがいいと言えば、少し子供っぽいんじゃない、と嗜められたりした。母からの助言で「ずっと好きでいられそうな色で、お姉さんぽいもの」を基準に選ぶことにした。売り場を何軒か周り散々悩んだうえで、大好きなピンク色のなかでも上品なローズピンクのものを選んで買ってもらった。内側にプリンセスの刺繍があしらわれているものだった。好きな要素がたくさん詰まっていて、すぐにお気に入りになったし、何だかお姉さんに近づけた気がして嬉しかった。このランドセルを背負って小学校に行くのが楽しみで仕方なかった。
登校初日はランドセルに合わせてピンク色のスカートを履いて行った。ランドセルはピカピカで体には不釣り合いな大きさだった。
何度か春が巡って迎えた卒業式の前日。
家に帰って床におろしたランドセルは、何だか少し色褪せて、小さく見えた。
私は最近、もっぱら黒やグレーの服を着ている。ピンクはもう、1番の好きな色ではなくなってしまった。
中学の制服をはじめて試着をした時、少しそわそわして、初めてランドセルを背負った日の、あの高揚感が蘇ってきた。結局少し大きめのサイズを買ってもらうことにしたけれど、きっとこの制服も卒業する頃には小さくなっているだろうなと思う。
大好きな色でお気に入りだったランドセルも、今ではどこか遠く、懐かしく見えるみたいに。
春は期待と緊張の混ざり合った、少しくすぐったい季節。けど今の私はもう、また何度か春が過ぎていけば、背伸びしていたことを懐かしむ日がくるのを知っている。
第3967号 懐かしさと春の香り(2025.2.23)
マンションのエレベーターでのこと、先に乗り込んだ私は老女が乗り終えるまで開ボタンを押しながら待った。乗り終えた老女は「ありがとうございます。お待たせいたしました。」と上品な口調でおっしゃった。私は「いいえ、あの何階ですか?」と尋ねた。老女は階数ボタンを見ながら「あら、同じ。」と微笑んだ。その笑顔に私も思わず微笑みかえした。すると老女は、「あの、ここにお住まいの方ですよね。もしご迷惑でなかったらデコポンもらっていただけないかしら。主人の実家から2箱も送ってきて私達2人では食べきれないの。」と言った。私は突然のことで少し戸惑い、返す言葉に詰まって間が開いた。老女を見ると私の答えを待って微笑んでいる。その笑顔に「はい、大好きです。」と答えてしまった。その時エレベーターが停まったので、私は開ボタンを押して老女が降りるのを待った。「ありがとう。よかったわ、ちょっと待っててね。」と老女は家にデコポンを取りに行った。私は付いて行くのも失礼かなと思い、エレベーターの前で待った。
数分後、ドアの閉まる音がしてコンビニの袋を重そうに持った老女がこちらに歩いてきた。私は迎えに行く形で老女の元に行き、袋一杯のデコポンを受け取った。「はい、お裾分けね。」と、また優しい笑顔でおっしゃった。
「こんなにいっぱいありがとうございます。」私はお礼を言ってありがたく頂戴した。
『お裾分け』なんて久しぶりに聞いた。『つまらないものですが』と同じように少しへりくだった言葉。祖母が生前良く使っていたことを思いだした。私でさえ使わないから、若い人はもっと使わないだろう。でも私はこの様な日本人特有の奥ゆかしい言葉が好きだ。出来ればこういう言葉と奥ゆかしい気持ちはこれからも無くなって欲しくない。私も使わなくては・・・。
懐かしさと春の香り、そして老女の笑顔に私はすっかりほんわか気分に包まれた。