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今週の風の詩

第3976号 3つの宝もの(2025.4.27)

3つの宝もの
匿名

 我が家に3人の孫がいます。敷地内別棟に住んでいます。毎週火曜日や金曜日には夕食を食べにきます。ある日、保育所の年少組の孫が、食事中、箸で取り分けていた私に言った『ばあばも大きくなったねえ』と。褒めてくれました。保育所の先生の言葉掛けを記憶していたのでしょうか。3歳にこう言われ、思わず吹き出しそうになるのを堪えて『ありがとう』と返しました。
 火曜日は、一番上のお兄ちゃんのスイミングの送迎をします。一緒に帰宅して、3人が口をそろえて『おなかペコペコ』と連呼します。それを聞きながら、急いで夕飯の支度をし、ある日ちょっと手抜きで冷凍の『カレーコロッケ』を温めて出しました。3人はそれぞれパクリ、ところが『からーい』と合唱。これを聞いたじいじが、出した私を責めました。それを聞いていた小4男児が、こう言いました。『でもばあば、辛いのが好きな人にはたまらない味だよね』と。なんて素敵な言葉。涙が出そうに、救われた思いでした。
 金曜日の夜は、小1の女の子がお泊りします。一緒にお風呂に入った時のことです。『ねえばあば、神様にお願い事したことある?』と突然聞かれて、『そうね、Kちゃんとずっと一緒にいられますように』かな・・・『Kちゃんはどんなお願いをするの?』すると『ばあばが死なないように』・・・欲しいものをおねだりするのかなと内心予想していた私は、これもまた、目頭が熱くなる思いでした。そして、この子の宝物は「家族」だと。
 私は仕事をしていたので、自分の娘は一人っ子でした。その娘はこんなに可愛い3人の孫を私に与えてくれました。「自分の子どもは自分で育てたい」と言った娘も、今は仕事をしながら頑張って子育て中です。ばあばは、まだ仕事を続けていますが、この3人の孫との関わりは宝です。私は自分の子どもは一人ですが、その何十倍 何百倍の「教え子という宝物」をもっています。来年は古希を迎える私ですが、家族共々、数多くの教え子たちとの絆に支えられて、今を生きています。そして、この一人一人の、かけがえのないたくさんの子どもたちが、この先どのように生きていくのか、考えるだけで胸がふくらみます。

第3975号 森の鈴蘭(2025.4.20)

森の鈴蘭
植生管理工見習い(ペンネーム)

森の再生活動をしています。
 ある日、地元中学校の教員から「社会学習の一環として、生徒のインタビューに協力してもらえないか。」と電話がありました。

 待ち合わせ場所には、小柄でほっそりとした鈴蘭を思られる清楚な佇まいの少女がいました。

 挨拶をした後に「なぜ、この活動に興味を持ったの?」と聞いたら「自然の中にいるのが好きなんです。」と答えてくれました。質問したのは、先生から事前に、他のクラスメイトは五、六人のグループになって、資料館や役場などをインタビュー対象に選んでいるのに、彼女だけが森に行きたい、一人でも行きたい、と言っていたと聞いていたからです。

 「ご両親も自然が好きなのかな?」と聞いたら「いえ、どちらも自然には全く興味がないんです。」と笑いました。続けて「父は、単身赴任で九州にいたのですが、母が病気になったので、こちらに戻ってきたんです。」と言いました。頷いて聞いていたら「癌なんです。」と。「そう。お見舞いとかお手伝いとか大変だね」と言ったところ、「私、嬉しいんです。家族三人で暮らせることが」と笑顔に。ここ数年、お父さんは九州、お母さんは病院、自分はおばあちゃんの家にいたそうです。

 インタビューの後に「作業してみる?」とノコギリを渡したところ、彼女は、それを使って竹を切り「お父さんへのお土産にします。」とコップに仕上げました。木蔦を巻くとリースになるよ、言ったら、早速作り「お母さんにもお土産ができた。」と嬉しそうにリュックにいれました。

 帰り道で「将来の夢とかあるの?」と聞いたら「はい、普通のOLです。」と返事。「はは、普通がいいんだね」と言うと「はい、普通がいいんです。風通の家族を作りたいんです。」と答えてくれました。

 帰路に立つ彼女の背中は、背筋が伸びて、まっすぐ前を向いていました。私も思わず背筋を伸ばし、息を大きく吸って、ゆっくり吐きました。

第3974号 バッグのなかのぬいぐるみ(2025.4.13)

バッグのなかのぬいぐるみ
柚月今日子(ペンネーム)

ゴールデンウィークに新幹線に乗った。大型連休真っただ中の午後3時、東京行きの指定席は満席だった。
 すぐ前の二人掛けの席には、30代前半くらいのご夫婦が3歳くらいの双子の女の子を連れて乗っている。私の真正面の席にお母さんと一緒に乗っている子はおとなしく座っている様子だったけれど、斜め前のお父さんの膝に乗っている子はぐずっていた。しばらくすると泣き出してしまってなかなか泣き止まない。なかなか大きな泣き声だ。
 私はバッグからおもむろに小さなパンダのぬいぐるみを取りだし、前の座席の背もたれの上からパンダの黒い耳と白い頭をちらっと覗かせた。そうしてぬいぐるみの頭を左右に揺らして少しずつ上に動かしていくと、女の子がピタリと泣き止んだ。びっくりしたような表情でパンダをじっとみつめていたかと思うとにっこりと笑顔を見せ、右手を伸ばしてパンダをぎゅっとつかみ……………なんてことが起こればいいなと思う。いつも思う。
 けれど私のバッグにパンダのぬいぐるみは入っていない。仮に入っていたとしても、いざとなったら何もしないだろう。余計に泣かせてしまうかもしれない、親御さんに睨まれるかもしれない……そんなあれこれを考えて、結果何もできないだろう。
 新幹線の女の子は、結局1時間近く泣き続けていた。バッグのなかにぬいぐるみがあったなら…、と思ってしまう。
 いつの日か、バッグにしのばせておいた小さなパンダのぬいぐるみをおもむろに取りだしてみたい。大泣きしていた子どもがにっこりと笑ってくれる笑顔を見てみたい。

第3973号 母の野良着(2025.4.6)

母の野良着
長坂隆雄

 久方振りに故郷の田舎を訪れた。
故郷の家を最後まで一人で守り続けた母が亡くなり、廃墟となって久しい家屋に入ると、停滞した空気の中に、至る処にわが家の歴史が残っていた。薄暗い納屋に入ると、その片隅にアイ染めの濃紺の野良着が吊らさげてあった。終始着用していた母の野良着である。
 田畑仕事で泥にまみれ、汚れたら洗濯板で手で洗い、破れたら布を当て、一針一針縫った継ぎ接された野良着である。
 春の麦刈り、秋の稲刈り以上に苛酷なのが、初夏から酷暑にかけての田植えであり、除草作業であった。時にヒルに咬まれ、血を吸われ、滴る汗を拭いながら、草取りに励んだ。長時間の立ち仕事の結果鬱血が主因の静脈瘤の足を引きずりながら働きづめの一生を送った母の歴史を凝縮したかの様な野良着である。
 過疎の田舎で私の小学校からの同級生で旧制中学に進学できたのはたった二人だった。
 終戦の翌年、中学校卒業と同時に就職し母を助けるのは当然と考えていた私に、強く進学を薦めたのは母だった。自分の様な苦しみを子供にさせたくないとの母の愛情であったろう。都会の大学への2時間余り、黒煙を吹き走る列車での通学の生活は、私以上に母にとって苛酷なものだった。5時過ぎの一番列車に乗るために、4時に起き、私の為の朝食を準備し、弁当も作ってくれた。引き続いての日中の苛酷な労働、眠る時間も惜しんでの生活だった。
「あんたに残してあげられるものは何もなくて、申し訳ない」というのが母の口癖だった。併し、無言の教訓の凝縮された母の野良着に勝る家宝はないと思った。
 何ひとつ、優しい言葉をかける事もなく、感謝の言葉を口にする事もなく、別れて行った母への謝罪に胸圧迫される思いがした。
 残された母の野良着を前に、様々な思いが蘇り、暫しその場に立ちつくしていた。

第3972号 ベランダの静かな同居人(2025.3.30)

ベランダの静かな同居人
いぬいしろ(ペンネーム)

昨年秋から仕事の都合で地元を離れ、一人暮らしを始めた。
自由が増えた反面、さみしさを感じることも多い。

そんななか仕事の関係でチューリップの球根をいただき、初めてチューリップを育てることにした。
球根は30個ほどあり、私の賃貸では育てきれないため、実家の両親と姉夫婦と分けてそれぞれの家で育てることにした。

チューリップは、寒いうちに球根を植えて、たくさんの水を与えることで春に花を咲かす。
芽吹く日を楽しみに水やりを続けた。

そんなある日、小さな小さな芽が出ていることに気がついた。
姉の家でも同じように芽が出て、少し遅れて実家の庭でも芽が出た。
それぞれの家の赤ちゃんのような芽の写真を送り合った。

毎朝の水やりは、チューリップの成長を確認するだけでなく、その日の天気のこと、春が近づいていること、離れて住む両親や姉のことを考える心穏やかな時間になった。

出張などで数日家を空けたときは、帰ると真っ先にベランダのカーテンをあける。
すくすく成長しているチューリップたちを見ると、あたたかく豊かに気持ちになる。

新生活を始める方が多いこの時期、寂しさを感じる方は、植物を育ててみるのはいかがだろうか?
ベランダの静かな同居人は、静かに寄り添い、新しい季節を届けてくれる。




第3971号 ソメイヨシノ(2025.3.23)

ソメイヨシノ
meicoco(ペンネーム)

 通っていた小学校は都会のど真ん中にあった。そのため校庭は狭く、バスケットコート1面も取れない広さで、しかも路面はコンクリートだった。しかしそんな学校でも、1本だけ桜の木があった。校庭の隅、鉄棒の後ろ側にひっそりと植えられていたのである。
 最初、私はそれが桜の木だとは気づかなかった。なぜなら桜が満開の時期、小学校は春休みだからだ。
 桜は、春休みになって校庭から子供たちの姿がなくなると開花し、子供たちが戻ってくる頃には、その花のほとんどを散らせてしまっていた。
 しかしある年の春ーその年はいつもよりも寒かったのかー桜はその花をかろうじて枝に残していて、偶然私はその花に気づいた。
「へー、この木、桜だったんだ」
 そして同時に、木に掛けられていた1枚のプレートにも気づいた。そこにはカタカナで「ソメイヨシノ」と書かれていた。
 「そっか、この木は上級生のソメイさんとヨシノさんがお世話しているんだ」
 そこから私の想像は広がった。ソメイさんとヨシノさんは園芸部。花が大好きな仲良しで、春休みも桜の観察に学校にやって来る。
 毎日つぼみの数を数え、開花を喜び、花が終われば虫がついていないかとか心配する。
 「だから毎年綺麗に花が咲くんだろうな」
 私は見たことはない上級生に、思いを馳せていたのである。
 ソメイヨシノが桜の品種だと知ったのは、それからしばらく経ってからだった。
 「本日靖国神社の標準木、ソメイヨシノが開花しました」
 テレビのニュースで初めて人名ではないと気づいた。そして少しだけガッカリした。
 しかし春になって満開の桜を見ると、今でも私の頭の中には小学生のソメイさんとヨシノさんが現れる。一生懸命、楽しそうに桜の世話をしている姿が浮かぶのである。

第3970号 ムスメのワガママ孝行(2025.3.16)

ムスメのワガママ孝行
伊達菜月

3月になった

新卒以来の単身生活にピリオドを打ち、実家に戻って来てからもうすぐ丸2年が経つ。

一切他人を気にする必要なく、自分のペースだけで生活全てを構築できる独り身の日々はさしずめ本当に「おひとり様天国」で、その生活が長かったこともあり、出戻り当初はフラストレーションを感じたこともあった。


自宅のリフォームや近所の方の引っ越し、建て壊し。戸建の建設ラッシュにマンションの解体。

この2年間だけをとっても、実家も、そしてこの近辺も随分変わりしたが、その中でも痛感したのは、「自分の両親も年を重ねる」という当たり前の事実だろう。

頭では理解していても、時たま会うのと毎日顔を合わせるのでは、その実感はまるで違った。


『親孝行したい時に親はなし」という言葉があるが、これはなにも親の死後に限った話ではない。

無論親孝行したいが為にではなく、私自身が共に行きたいから誘うわけだが、例えば旅行に行こうと誘っても「もうそんな体力ないから」と断られてしまったら、それはもう実現できないことなのだ。

幸いなことに私の両親は未だ健在だが、それでも親自身に行動が伴う場合、制限なしの共有の思い出を作れる時間は切ないほど短い。


「不変で絶対的存在だと思っていた両親でも「いつか」に近づいている」

避けてきたこの事実を直視すると途方もない悲しみと焦りに襲われるが、未だなんとか親の健在な今の段階で実感できただけでも、私は実家に戻ってきて本当に良かったと思う。

どんなに冷たくしてしまっても変わらず31年愛を注ぎ続けてくれた大好きな両親に、私はもっとたくさんの思い出作りの提案していきたい。

そしてあわよくばその実行の過程で体力をつけて、元気にどこまでも長生きして欲しい。

まだまだずっと一緒にいたいんだからね。まだまだずっと、私のワガママに付き合ってもらうよ。

一緒に出掛けて一緒にたくさん過ごそうね。だからずっと長生きしてね。

第3969号 六年生ありがとう!(2025.3.9)

六年生ありがとう!
しほか(ペンネーム)

わたしは、六年生にやさしくしてもらいました。

くつばこそうじがおわって、チャイムがなるとき六年生がちかづいてきてくれて、

「かわいい。」といってくれたから、やる力がでてきました。

そのときは、六年生にあまえちゃいました。

六年生が中学校へいっても、またあいたいです。

これからも、中学校へいっても、むずかしいじゅぎょうがあったりしても、

ぜったい、がんばってほしいです。


第3968号 ランドセルと制服(2025.3.2)

ランドセルと制服
佐藤塩胡椒(ペンネーム)

小学校の入学準備で、ランドセルを選びに行った。
入学おめでとうの文字と共に、ずらりといろんな色のランドセルが並んでいた。形はほとんど同じだが、色はもちろん、施された刺繍やハトメの形、内側の仕様の違いにはかなりの種類があって、決めるのが大変だった。色は好きだけど細かいところが気に入らなかったり、表にリボンやハートの刺繍がたっぷり入っているものがいいと言えば、少し子供っぽいんじゃない、と嗜められたりした。母からの助言で「ずっと好きでいられそうな色で、お姉さんぽいもの」を基準に選ぶことにした。売り場を何軒か周り散々悩んだうえで、大好きなピンク色のなかでも上品なローズピンクのものを選んで買ってもらった。内側にプリンセスの刺繍があしらわれているものだった。好きな要素がたくさん詰まっていて、すぐにお気に入りになったし、何だかお姉さんに近づけた気がして嬉しかった。このランドセルを背負って小学校に行くのが楽しみで仕方なかった。
 登校初日はランドセルに合わせてピンク色のスカートを履いて行った。ランドセルはピカピカで体には不釣り合いな大きさだった。

 何度か春が巡って迎えた卒業式の前日。
家に帰って床におろしたランドセルは、何だか少し色褪せて、小さく見えた。
 私は最近、もっぱら黒やグレーの服を着ている。ピンクはもう、1番の好きな色ではなくなってしまった。
 中学の制服をはじめて試着をした時、少しそわそわして、初めてランドセルを背負った日の、あの高揚感が蘇ってきた。結局少し大きめのサイズを買ってもらうことにしたけれど、きっとこの制服も卒業する頃には小さくなっているだろうなと思う。
 大好きな色でお気に入りだったランドセルも、今ではどこか遠く、懐かしく見えるみたいに。

 春は期待と緊張の混ざり合った、少しくすぐったい季節。けど今の私はもう、また何度か春が過ぎていけば、背伸びしていたことを懐かしむ日がくるのを知っている。

第3967号 懐かしさと春の香り(2025.2.23)

懐かしさと春の香り
KANA(ペンネーム)

マンションのエレベーターでのこと、先に乗り込んだ私は老女が乗り終えるまで開ボタンを押しながら待った。乗り終えた老女は「ありがとうございます。お待たせいたしました。」と上品な口調でおっしゃった。私は「いいえ、あの何階ですか?」と尋ねた。老女は階数ボタンを見ながら「あら、同じ。」と微笑んだ。その笑顔に私も思わず微笑みかえした。すると老女は、「あの、ここにお住まいの方ですよね。もしご迷惑でなかったらデコポンもらっていただけないかしら。主人の実家から2箱も送ってきて私達2人では食べきれないの。」と言った。私は突然のことで少し戸惑い、返す言葉に詰まって間が開いた。老女を見ると私の答えを待って微笑んでいる。その笑顔に「はい、大好きです。」と答えてしまった。その時エレベーターが停まったので、私は開ボタンを押して老女が降りるのを待った。「ありがとう。よかったわ、ちょっと待っててね。」と老女は家にデコポンを取りに行った。私は付いて行くのも失礼かなと思い、エレベーターの前で待った。

数分後、ドアの閉まる音がしてコンビニの袋を重そうに持った老女がこちらに歩いてきた。私は迎えに行く形で老女の元に行き、袋一杯のデコポンを受け取った。「はい、お裾分けね。」と、また優しい笑顔でおっしゃった。

「こんなにいっぱいありがとうございます。」私はお礼を言ってありがたく頂戴した。

『お裾分け』なんて久しぶりに聞いた。『つまらないものですが』と同じように少しへりくだった言葉。祖母が生前良く使っていたことを思いだした。私でさえ使わないから、若い人はもっと使わないだろう。でも私はこの様な日本人特有の奥ゆかしい言葉が好きだ。出来ればこういう言葉と奥ゆかしい気持ちはこれからも無くなって欲しくない。私も使わなくては・・・。

懐かしさと春の香り、そして老女の笑顔に私はすっかりほんわか気分に包まれた。

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