今週の風の詩
第3924号 カフェ開店ラッシュ(2024.4.28)
第3923号 伝説の最後(2024.4.21)
仲間内でまるで都市伝説のように語られる焼肉屋があった。彼ら曰く「炭火焼肉をどれだけ頑張って食べても3千円を超えない」のだ。「そんなことあるわけない」と思って私も行ってみたが、どれだけがんばって食べても会計が3千円に届かない。びっくりした。
スタッフはいつも丁寧な対応で、地元の人たちが楽しそうに肉を焼いている。「あと3席くらい増やしたほうが採算がとれるのではないか?」「何十年もお値段が据え置きなのだろうか?」など、みんなで安すぎる理由と対策を勝手に話しあった。
「今日で閉店するらしいよ」
という連絡を聞いたとき、驚いたけれど「なぜ?」とは思わなかった。あの価格設定ではじゅうぶんな儲けなどないだろう。あの店の経営者はきっと人が良すぎたのだ。
閉店に間に合うように、まだ雪の残る商店街を抜けて店にたどり着くと、最後の夜を楽しむ常連客たちで賑わっていた。「最後だからって、かなり安くしてくれてますよ」と先に来ていた知り合いが教えてくれた。まったく、どこまで人の良い店なんだろう。焼肉の香りと人々の笑い声に囲まれながら、私たちはできるだけ高い肉を注文し、飲み物もいっぱいおかわりした。
スタッフと記念写真を撮る人たちが何人もいて、その盛り上がりが、この店が地域にどれだけ愛されていたかを証明していた。普段は厨房にいて、なかなか姿を見ることもなかった店長は、とても穏やかで誠実そうな顔をしていた。深々と客に頭を下げている。
「俺さ、あの店長がまた店を始めて、今度はもっと高い値段設定になったとしても、その店を選びたいよ…」
仲間の一人がポツリと言った。
最後にレジで「おいしかったです。ありがとうございました」と伝えた。お会計は3200円。特上のお肉をあれだけ注文したにも関わらず、だ。本当に商売下手な人たちだ、と少し呆れる。
私たちは、店が閉まる前にタクシーに乗った。
平凡な人生の中で特別な出来事なんてそう起こらない。でもこんな日がきっと、忘れられない特別な夜に数えられるのだろう。遠ざかる「焼肉」の赤い看板を見ながら、私はこのことを愛しく思い出す未来を想像した。
第3922号 杖と通勤電車(2024.04.14)
40代の頃、足の骨折で松葉杖の世話になった。街なかでの松葉杖は、足が悪いアピールとしてはかなり目立つ。でも、治ればもと通りに歩けると思うのか、通勤電車ではほとんど席を譲ってもらえなかった。やれやれ、思いやりの薄い時代になった、と気がふさいだ。
還暦を過ぎ、股関節症で歩くのに痛みが伴うようになった。高齢者の仲間入りにはまだ早い、杖をついて歩くのは抵抗がある。それでも痛みのためしぶしぶ杖を試すと、歩行が格段に楽だ。しょうがない、杖に頼ろう。
自分用の杖を求めようとすると、種類や販売店、価格帯など、バリエーションが豊富で迷う。高額なものには手が出ないが、百円ショップのものはしっくりこない。季節や服装を問わないのはもちろん、この期に及んでもやはり、少しは洒落ていて欲しい。
結局これっ!と決めてその場から使う。杖つく人、デビューである。すると、以前より街を歩き回れると思えて、少しワクワクさえした。
問題は、朝の通勤電車である。座れないと1日の疲労感が大きい。松葉杖の経験から周囲の思いやりは期待できない。杖で優先席の前に立つのも、これ見よがしに席を譲れと言わんばかりで気が引ける。ええいっ、立ちっぱなし覚悟で電車に乗った。
驚いた。すぐに席を譲られたのである。すっと席を立ったのは中年の婦人。申し訳なく、気恥ずかしいような嬉しさ。ありがとうございます、と微笑み返す。
毎日同じ電車に乗れたわけではなかったが、席は毎朝、譲られた。10代と見られる学生から50代くらいの方まで、男女を問わず、杖を見てすぐに席を立つと思えた。世の中まだまだ捨てたものではない。通勤電車を通じて、杖が人の思いやりのありがたさを教えてくれた。
電車で席を譲られるのが、本当は、杖ではなく老いの見た目からだったとしても、今はまだそれを認めたくはない。杖つく人となって、却って心の天井が上がり、歩行が軽やかになったのだから。
第3921号 駐輪場のおじさん(2024.4.7)
第3920号 父の卒業(2024.3.31)
第3919号 燕来たる(2024.3.24)
第3918号 32年ぶりの同窓会(2024.03.17)
50歳の節目の機に、卒業以来初めての高校の同窓会が開かれた。
18歳で卒業し、まさに32年ぶりの友たちとの再会。進学、就職、結婚、子育てを経ての社会復帰と、慌ただしい日々を過ごしていた私は、8回もの引っ越しや夫の転勤、メールアドレスの変更を繰り返すうち、同窓生との連絡が途絶えてしまっていた。
32年は、「久しぶり!」と簡単に言えないほどの時の重み。そもそも私を覚えてくれている友達なんているんだろうか。不安とドキドキを抱え、地方に住む私は早朝から新幹線に乗り、会場のホテルへ 向かった。
会場に着くと「○○さん!」と声をかけてくれたのは、1年生の時のクラスメイト。そこからは怒涛の握手と抱擁、弾ける笑顔あり、涙あり。確かにみんな、30年を経て外側に変化はある!体重が二倍になったという男子、黒髪が流行のグレーヘアになった女子、髪そのものが少なくなった友もいるし、目尻や額に刻まれたシワや頬に浮かぶシミは、積んできた経験の証。それでも変わらないのは目の輝きと声、誰もが持つ「その人らしさ」だった。
ここでは気取る必要もなければ、無駄な社交辞令や挨拶も必要ない!何よりみんな、優しくなった。当時は思春期真っ只中、強烈な自我を持て余しながら思いきり突っ張って、斜に構えていたティーンエイジャーも、カドが取れ、まあるくなった。その優しさが、心地良い。
全学年の半分、90名ほどが集った同窓会はなんと4次会まであった。新幹線の時間があったので私は二次会で帰ったが、あの1日は私にとって、忘れられない時となった。多くの友とライン交換をし、写真を撮って近いうちの再会を誓った。
第3917号 冬のたのしみ(2024.03.10)
第3916号 できることから始めよう(2024.03.03)
東京駅に向かう通勤時間の電車で、赤ちゃんを抱っこしたお母さんと、夏休みなのか小学校ぐらいの男の子が2人乗ってきた。電車は混んでいて席はない。
子供たちとお母さんは電車のドア入口付近の隅によりかかり、窓をみながら何やら話している。私も3人子供がいるため、座るより立っていた方が楽な時もあることは分かっていたが「もしよろしかったら、ここに座りませんか」とお母さんに声をかけた。
お母さんは笑みを浮かべて「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ」と言って、席には座らなかった。その時だ。小学校ぐらいの息子さんが驚いたようにこう言ったのだ。
「優しい人だね、お母さん」と。
私はその一言が家に帰ったあとも心に残っていた。子供の純粋な表現にかわいらしさを覚えると同時に、当たり前の行為で子供にその言葉を言わせてしまう社会が悲しいなと思ったのだ。私も妊娠中に電車通勤を経験したが、誰も声をかけてはくれなかった。席を譲ってほしいという気持ちより、社会に気にされていない自分がいることに孤独を感じたのだ。ひと昔前までは日本人は当たり前に声掛けをしていたのではなかっただろうか。子供を持つお母さんに席を譲っただけで「優しい人だね」と子供を驚かせてしまう世の中ってなんだろうか。私は子供に危険性を教えるだけでなく、世の中には「優しい人」もたくさんいることを教える必要があるのではないかと思っている。大人が率先して日常生活の中で優しい心配りを意識するだけで、子供は「優しい世の中が当たり前になっていくと思うのだ。
「優しい人だね、お母さん」
あの男の子の声が今でも思い出される。
子供にとって優しい社会が当たり前だと思ってもらえるように…。
そして、優しい人がいる日本が当たり前だと思ってもらえるように…。
私が出来ることから始めていこう。
第3915号 冬の片手袋(2024.02.25)
冬になると、こういった事情で生まれた片手袋をあちこちで見かける。ガードレールの支柱に挿されたもの、金網に差し込まれたもの、植込みの上に置かれたもの。「東京は人間関係が希薄で、人と人との繋がりに乏しい」、と語る人は多い。しかし、そんな大都会では今日もまた、沢山の人達が見ず知らずの人が落とした片手袋を拾い上げ、目立つ場所に置いてあげている。
地球を救うほど大袈裟なものではないけれど、我々が確実に持ち合わせているささやかでさりげない優しさ。日々すれ違う自分とは何の関係もない人々とも、「片手袋を落とし、拾われ」といった思いがけないことで人生が交差している可能性。冬場の片手袋達は、様々な希望を可視化させる。
電柱に吊り下げられた片手袋を見かけた日の夜、激しい雨が降った。翌日の朝、同じ場所を通ってみると、ビニール袋がジッパー付きの袋に変わっていた。片手袋が雨に濡れないよう、さらなる気遣いが施されていたのである。
東京は本当に冷たい町だろうか?