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今週の風の詩

第3962号 英語熱(2025.1.19)

英語熱
楓子(ペンネーム)

中学生時代、情熱溢れる、若くて素敵な英語の先生に出逢い、英語が大好きになった。英語のリズムや響きもとても好きで、大学卒業まで、英語、英会話の勉強に夢中な日々だった。
卒業後は念願の航空会社に勤務して外国に行ったり英語を使う機会も多い毎日だった。
しかし結婚と同時に退職して、23年。
育児や介護、私自身の病気と治療に追われ、海外に行くことも英語を話す機会もない毎日となっていた。
そんな私がこの頃、英語で話しかけられる機会が立て続けにあった。どれも道を聞かれたり、電車の停車駅や行き先を聞かれたり、というものだった。とっさに単語が浮かばなくてうまく話せない自分に焦ったりもしたが何とか通じたようだった。お母さんはきっと地元の人に見えて話しかけやすいんじゃない?と、娘に誉められているのかわからない事を言われたが、もっと違う言い方が出来たなぁと後から単語やフレーズが蘇ってきた。
少しずつ自分の為に使える時間も増えてきた今、懐かしいラジオ英会話講座を聞いてみることにした。学生時代、色んな国に行く事に憧れたり、英語を話せる様になりたいと夢見ながら、英語の勉強を頑張っていた日々が懐かしく思い出される。あの頃のようにスムーズには、覚えられないが単語や、言い回しを暗記したりして英語熱が再燃している。出来ればまた海外にも、行けたら良いなぁと楽しみにしている。

第3961号 カエルの置物(2025.1.12)

カエルの置物
TAECO(ペンネーム)

私たち姉妹は、毎年両親の命日に、ゆかりのある場所を訪ね、
ふたりで思い出を語り合う一日を過ごしている。

奇跡的なことに、二人の命日は、年は違えど全く一緒の日であり
そんなことから、毎年この日は私たち姉妹にとって、かけがえのないアニバーサリーとなっている。

今年向かったのは、両親の新婚旅行先の鳥羽方面へ。

駅から歩いて、夫婦岩へ向かう。

海岸沿いの道を歩いていると、とても風情がある老舗旅館が並び、
文豪がいたころにワープするような不思議な感覚になる。

ここを何十年前か、二人はどんな話をしながら歩いたんだろうと想像しながら、
二人になりきって話しながら歩くのも楽しい。

両親のアルバムをもとに、同じ場所でスマホに写真を残す。

途中、お土産屋さんに立ち寄った。
店内にはたくさんのカエルのグッズが置いてある。
ここの地域のお守りでもある、無事カエルというものだ。

その中のカエルの置物を見たとき、あっ!と声が出た。
大きいカエルの上に、小さなカエルがちょこんと乗っている。

〝これって、うちの庭にある、あのカエルの置物と同じじゃない?!”
〝あれ絶対、ここでカエル買ったよね!”

父は、全くそう見えないが、可愛い置物が好きだった。

昔一緒に行った沖縄では、ゴーヤの上にシーサーが乗った置物、
ハワイでは、大きい亀の上に、だんだんと小さい亀が乗った置物、、
旅行の行く先でいろいろな置物を買っていたことを思い出す。

でも今回のカエルの置物は、結構な重さだ。
母との新生活に、お守りのカエルをどうしても持って帰りたかったのかもしれない。

父の3歩先を歩く母だったが、その頃はまだ、カエルの置物を担いだ父の背中を
微笑んで見ていたのだろうか。

上でも仲良く楽しくやっていますか?

さぁ来年はどこに行こう♪

第3960号 初めての凧揚げ(2025.1.5)

初めての凧揚げ
深見裕子

寒くなると子供の頃、父と凧揚げをしたことを思い出す。和紙で出来たお決まりの凧ではなく"カイト"という名のビニールで出来たもの。新しいものが好きな父が、おもちゃ屋さんにて購入してきた。包み紙を開けると、そのカイトは鳥の形を模していた。右と左で紅白に色分けしてあり、コンドルの翼のように大きかった。子供心に(なんてカッコイイんだろう!)とワクワクした。

晴れた日の日曜日、父と車で土手へ向かった。車を降りると、身体がぶるっと震える寒さ。しかしなにより凧揚げ日和のいい風が吹いている。空を見上げると、まだ冬の様子をまとった小さな雲が所々にぽかりと浮かんでいた。
支度が出来「さあ飛ばすぞ!」と父が言うなり、カイトは風に乗り、フワッと空に上がっていった。父の手の中にあるタコ糸は、カイトが上昇するたび、するすると空へと登っていく。遠く遠くなっていくカイト。私はカッコよく飛んでいく様をポカーンと口を開けて見惚れていた。
すると父が突然「あああっ!! 」と声をあげた。なんとカイトを操る、タコ糸の最後が板に縛られていなかったのだ。しかしカイトにとってそんなことはお構いなし。自由の身になった今、遠くの空へと舞い上がってゆく。どんどんどんどん小さくなっていき、終いに何も見えなくなってしまった。父と顔を合わせると、なぜだかとても可笑くなり、ふたりでお腹が痛くなるほど笑った。

50年以上前の話だが、この時の気持ちは、今思い出しても胸がおどるのだ。

第3959号 私たちの誕生日(2024.12.29)

私たちの誕生日
匿名

私の母は正真正銘の1月1日生まれ。
祖母に「昔は、正月のほうが縁起がいい、数え年だと可哀想と言って日付を大雑把にして届け出る人も多かったけど、私は本当にとっても寒い元旦にあなたのお母さんを産んだんだから!」と何度も聞かされた。
そんな私は12月26日生まれ。
小学生の頃「クリスマスの次の日だと、ケーキやプレゼントをまとめられたりしない?」と友達に言われてびっくりした。母は必ずケーキを2つ、プレゼントも2つ用意してくれていたからだ。
どうしてまとめなかったのか聞いてみると、母は「自分の子どもには同じ思いをさせたくなかったから」と答えた。
母の誕生日は、いつもケーキの代わりにお節、プレゼントの代わりにお年玉だったそう。
物がない時代、三人きょうだいだったから仕方ないとは思うけれど、きっと毎年悲しい気持ちだったに違いない。
そんな思いを繰り返さないように……母は私の誕生日祝いをまとめずにいてくれたのだ。
母の深い愛情を感じ、毎年その時期は幸せな気持ちでケーキをぱくぱく食べていた。
私も働くようになってからは、お節と一緒にケーキとささやかなプレゼントも用意できるようになった。

時は経ち、私もいい歳になり、母も少しずつ老いてきた。
「そろそろ、きついよねえ」「そうだね」
12月末にケーキ2つ、1月1日にケーキ1つ、完食するのが難しくなった私たちである。
これも人生。これからは母と私のケーキをまとめようか、と考えている。

第3958号 あたたかいブランケット(2024.12.22)

あたたかいブランケット
柄澤久美子

我が家の押入れには、何枚もブランケットが仕舞ってある。

8歳と2歳の2人の息子は、厚着を嫌う。冬でも下着一枚でソファーに座って「寒いー。なんかかけて」と言う。

そうすると私はブランケットを出してきて、くるっと包んでやる。子どもたちはほっとしたような顔をして「ありがとう」と言う。

本当はきちんと洋服を着てもらいたいのだけれど、子どもたちにとってはこっちの方が嬉しいみたいだ。

化繊のふわふわしたブランケット、ウール生地の毛布から作られたブランケット、毛糸の手編みのブランケット。生地も大きさも様々なブランケット。これらのブランケットは、私が買ったものではない。

私たち家族は、私の実家の隣に住んでいる。

子どもたちは私の両親が大好きで、よく家に遊びに行く。私も一緒に行ってはおしゃべりをしたり、お茶を飲んだりして帰ってくる。

「そろそろ帰ろうか」と玄関に向かうと、母は子どもたちの薄着を心配する。「外に出るのに、そんな格好じゃ冷えちゃうわ」そう言って、二人にブランケットをかけてくれる。

「ありがとう、後で返すね」と言うと「返さなくていいわよ」と言ってくれる。

これはウールでしっかりしているから、これは手編みで特別あたたかいから、これはジャブジャブお洗濯できて便利だから…

「小さい子がいるとね、何かと必要よ」とブランケットを渡してくれる。

実家の玄関から我が家の玄関まで20歩ほど。その間の寒さを心配して、母が息子たちにかけてくれたブランケット。これまで何度もそういうことがあって、それらが我が家の押入れに仕舞われている。

母の優しさを感じながら、私も息子たちに、そのあたたかいブランケットをかけている。


第3957号 クリスマスキャロル(2024.12.15)

クリスマスキャロル
すみれ(ペンネーム)

友人から、「師走に見に行くクリスマスキャロルの舞台が心に沁みる」との便りがありました。
娘が小さい頃、映画やディズニービデオで見た『クリスマスキャロル』は、守銭奴で冷酷、嫌われ者の主人公スクルージが映像によってデフォルメされていたことから、今も強烈な印象があります。家に残っていた、岩波少年文庫を読んでみると、少年文庫?むしろ、この物語は家族や他人への愛を忘れた大人の為の物語でした。
産業革命後の英国で、貧困極まる社会背景ですが、クリスマスを祝い、明るく生きようとする人々の健気な姿が描かれていて、心が洗われます。
英国では、『クリスマスキャロル』を契機にクリスマスを祝うようになったと言われています。キリスト教徒でなくとも、クリスマスを祝い、隣人ばかりでなく、世界中の人々の幸せを願う祈りが続くようにと思いました。
「12月のクリスマスキャロル、年末の第九、新年のニューイヤーコンサートなど季節に相応しい感動がありますね」と返信した所で、日々の慌ただしさやコロナ禍で、自分はもう何年も演劇やコンサートに出掛けていないことに気づきました。
演劇といえば、私は蜷川幸雄さんの大ファンで、1998年から彩の国さいたま劇場で、蜷川演出でのシェイクスピアの37戯曲全てを上演するという素晴らしい企画(蜷川演出では32作品までとなった)があり、心を揺さぶられる感動を味わいました。また、思いがけず、娘がNY に赴任することになり、ミュージカルやオペラを楽しむことが出来ました。
しかし、人生とは本当に山あり谷ありです。
その後は、青天の霹靂とも言える様々なことが起こり、心はすっかり疲れ果てて。。
素晴らしい感動や感謝の日々が在った事も忘れていました。
友人が気づかせてくれた『クリスマス』の意味を大切に、諦め、不安、憤りなど負の感情を捨てて、優しい気持ちで年末を迎えたいと思いました。
何より、世界中でとりわけ平和な日本に生きていることに感謝しなければなりません。

第3956号 名残の柚子(2024.12.8)

名残の柚子
 国実マヤコ

 昨年の冬至の日、わたしは初めてスーパーで柚子を買った。幼いころから、柚子湯は毎年の行事となっていて、家族の健康をねがい、欠かせないものとなっている。

 ではなぜ、初めて柚子を買うことになったのか。それは昨夏、両親がいわゆる「実家じまい」をし、マンションへと移り住んだからである。子ども達はとうに巣立ち、同居していた祖父母も亡くなり、両親は、急な階段の心配な年齢となった。一軒家を持て余した二人が、安心感のある集合住宅を選ぶのも、当然のことだろう。

 実家には、亡き祖父の植えた植栽が多くあった。背の高い枇杷の木には手作りのブランコがかかっていたこともあったし、玄関先には、秋の到来を知らせる金木犀が、そして家の裏には、毎冬、鈴なりに実をつける柚子の木があった。

 香りのよい黄金色のそれが実ると、あたり一面がぱあっと明るくなるようだった。冬が来るたび、わたしたちはこの柚子の恩恵に預かった。あまりにたくさん実るので、ご近所にお裾分けすることも、しばしば。実家を離れた後も、この柚子の木のおかげで、変わらず贅沢に柚子湯をたのしんでいたというわけだ。

 昭和30年から二子玉川にあった、わたしの実家。とうに亡くなった祖父母の笑顔も、家族みなで泣いて笑った日々も、暮らしを彩った木々たちも、わたしがこの世を去るその日まで、胸のなか、消えることはないだろう。

 それでも、毎冬、鈴なりに実をつけたあの木は、もうない。

 わたしは実家での豊かな日々を思い出しながら、来冬も柚子を買うだろう。

第3955号 クリスマスカードと私(2024.12.1)

クリスマスカードと私
梅原美穂子

 街が少しずつクリスマスムードに色づきはじめた。ガーランドやツリーが飾られ、ちらほら耳にするクリスマスソングは気分を高揚させてくれる。今年もそんな季節が巡ってきた。
 この時期、私はクリスマスカードを買い求めに都内の文具店に足を運ぶ。毎年恒例だ。
 店内に足を一歩踏み入れると、そこにはフロアいっぱいにカードが並べられている。
外国製や日本製のもの。デザインも、ツリー、リース、サンタクロースやポインセチアをはじめとして、色づかいも緑、赤、ゴールド、シルバーなど。どのカードも個性的で華やか、そして美しい。圧巻だ。
 また、ボタンを押すと、クリスマスソングが流れるメロディーカードやライトが点滅するもの。
一つずつ窓を開けていくアドベントカレンダーのようなカードなど、趣向に凝らされたカードは手に取って眺めるだけでもワクワクしてくる。
 私はそこで、その年特にお世話になった方、若い頃からカードを交換している古い友人、海外留学した時にお世話になったホストファミリーに向けて出すためのカードを探す。
それぞれの方の顔を思い浮かべ、好みを考えながら1枚1枚丁寧に選ぶ。
今年は10人ほどにお出しするので、10枚の違うカードを手にして家路についた。
 日本人の多くの方にとってそうであるように、私も宗教は持っていない。でもこの季節になると、胸の中には相手を思う気持ちがじんわりわいてくる。
冬の冷たい季節だけれど、心のこもったカードのやり取りは私を温もりで満たしてくれる。 
感謝とお礼の気持ちを込めて、相手の健康と幸せを願って。さぁ、今年もカードに向かってペンを走らせたい。

第3954号 彫刻家(2024.11.24)

彫刻家
匿名

上司が個展を開いた。ギャラリーでのにぎやかなオープニングパーティの夜、人混みを避けて小さく仕切られた部屋で作品を鑑賞していると、年配の男性が一人ふらりと入ってきた。著名な彫刻家だった。そして彼は、私の大好きな彫刻家の息子だった。

親子で同じ芸術の道をゆく。それはどういう気持ちだろう。芸術を語るほど知識はないが、私の目にはそれぞれの作品の間に共通する静けさと同時に、似て非なる精神世界が映っていた。

今、まさに目の前に「息子」がいる。私は何も言わないでいることが出来なかった。何か言いたいとも思った。一瞬の間に様々なことが脳裏をよぎった末、短い言葉が私の口からこぼれた。「ファンです」
「どうも」ボソッと彼がそう言ったのが聞こえた。気まずい瞬間は呆気なく終わった。
人気作家に対して、それはきっとなんて平凡過ぎる挨拶だったろう。
それ以上に嘘が恥ずかしかった。気を悪くしたら。怒らせたら。私はついに「お父様の」と言う勇気を持てなかったのだ。後で思った。もし言っていたなら一体どんなストーリーが展開しただろう、と。

それから10年以上が経ち、ごく最近、あの夜遭遇した彫刻家が旅立たれたことをニュースで知った。
今でも、私は芸術家と出会い接する機会に恵まれている。何より自分自身もダンサーとして舞台に立つようになり、観客として足を運んでくれた方々から感想をもらう立場にもなった。言葉を贈る側としても、受け取る側としても、短い対話の時間をお世辞や心にない言葉で濁さないように意識している。その方がずっと清々しく、気持ちがいい。相手の反応を先回りして怖れるより、自分に対して誠実でいる時、私は自分をより好きになれる。改めて思い返すと、その原点は彫刻家とのあのほんの一瞬の出来事にあるような気がしてならない。

ニュースに接し、久しぶりにあの彫刻家の顔を思い浮かべた。次に会う時は、と漠然と思い描いていたことはもう叶わない。すべてが一期一会。湧いてきたのはもはや後味の悪さではなく、大切なことを学ばせていただきたいという感謝に近い何かだった。

第3953号 素敵バス(2024.11.17)

素敵バス
モニカ(ペンネーム)

その日バスに乗るのは久しぶりだった。
バス停の先頭に並んでいて、乗車する時に、マスクをしていてもわかるくらい、
にこやかに「こんにちは、お待たせしました。」と運転士さんに言われた。
私は少し驚いて、その後の様子を見ていると、やはり
「こんにちは、お待たせしました。」と。

バスの乗車で「お待たせしました」はあっても「こんにちは」と言われたのは
初めてで、驚きつつも、この運転士さんは朝には「おはようございます」、
日が暮れたら「こんばんは」と言っているのを想像して
心がポワッと温かくなった。
子どもの頃から挨拶は基本と言われて育ってきたけれど、
礼儀やマナーのためだけではなく、仕事や義理だからでもなく、

人と人との一期一会に「こんにちは」。
素敵な、そして大事なことを教えていただいた。
この素敵なやりとりが笑顔の連鎖になるよう、
私も実践していきたい。

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