今週の風の詩
第3962号 英語熱(2025.1.19)
第3961号 カエルの置物(2025.1.12)
第3960号 初めての凧揚げ(2025.1.5)
第3959号 私たちの誕生日(2024.12.29)
祖母に「昔は、正月のほうが縁起がいい、数え年だと可哀想と言って日付を大雑把にして届け出る人も多かったけど、私は本当にとっても寒い元旦にあなたのお母さんを産んだんだから!」と何度も聞かされた。
そんな私は12月26日生まれ。
小学生の頃「クリスマスの次の日だと、ケーキやプレゼントをまとめられたりしない?」と友達に言われてびっくりした。母は必ずケーキを2つ、プレゼントも2つ用意してくれていたからだ。
どうしてまとめなかったのか聞いてみると、母は「自分の子どもには同じ思いをさせたくなかったから」と答えた。
母の誕生日は、いつもケーキの代わりにお節、プレゼントの代わりにお年玉だったそう。
物がない時代、三人きょうだいだったから仕方ないとは思うけれど、きっと毎年悲しい気持ちだったに違いない。
そんな思いを繰り返さないように……母は私の誕生日祝いをまとめずにいてくれたのだ。
母の深い愛情を感じ、毎年その時期は幸せな気持ちでケーキをぱくぱく食べていた。
私も働くようになってからは、お節と一緒にケーキとささやかなプレゼントも用意できるようになった。
時は経ち、私もいい歳になり、母も少しずつ老いてきた。
「そろそろ、きついよねえ」「そうだね」
12月末にケーキ2つ、1月1日にケーキ1つ、完食するのが難しくなった私たちである。
これも人生。これからは母と私のケーキをまとめようか、と考えている。
第3958号 あたたかいブランケット(2024.12.22)
我が家の押入れには、何枚もブランケットが仕舞ってある。
8歳と2歳の2人の息子は、厚着を嫌う。冬でも下着一枚でソファーに座って「寒いー。なんかかけて」と言う。
そうすると私はブランケットを出してきて、くるっと包んでやる。子どもたちはほっとしたような顔をして「ありがとう」と言う。
本当はきちんと洋服を着てもらいたいのだけれど、子どもたちにとってはこっちの方が嬉しいみたいだ。
化繊のふわふわしたブランケット、ウール生地の毛布から作られたブランケット、毛糸の手編みのブランケット。生地も大きさも様々なブランケット。これらのブランケットは、私が買ったものではない。
私たち家族は、私の実家の隣に住んでいる。
子どもたちは私の両親が大好きで、よく家に遊びに行く。私も一緒に行ってはおしゃべりをしたり、お茶を飲んだりして帰ってくる。
「そろそろ帰ろうか」と玄関に向かうと、母は子どもたちの薄着を心配する。「外に出るのに、そんな格好じゃ冷えちゃうわ」そう言って、二人にブランケットをかけてくれる。
「ありがとう、後で返すね」と言うと「返さなくていいわよ」と言ってくれる。
これはウールでしっかりしているから、これは手編みで特別あたたかいから、これはジャブジャブお洗濯できて便利だから…
「小さい子がいるとね、何かと必要よ」とブランケットを渡してくれる。
実家の玄関から我が家の玄関まで20歩ほど。その間の寒さを心配して、母が息子たちにかけてくれたブランケット。これまで何度もそういうことがあって、それらが我が家の押入れに仕舞われている。
母の優しさを感じながら、私も息子たちに、そのあたたかいブランケットをかけている。
第3957号 クリスマスキャロル(2024.12.15)
娘が小さい頃、映画やディズニービデオで見た『クリスマスキャロル』は、守銭奴で冷酷、嫌われ者の主人公スクルージが映像によってデフォルメされていたことから、今も強烈な印象があります。家に残っていた、岩波少年文庫を読んでみると、少年文庫?むしろ、この物語は家族や他人への愛を忘れた大人の為の物語でした。
産業革命後の英国で、貧困極まる社会背景ですが、クリスマスを祝い、明るく生きようとする人々の健気な姿が描かれていて、心が洗われます。
英国では、『クリスマスキャロル』を契機にクリスマスを祝うようになったと言われています。キリスト教徒でなくとも、クリスマスを祝い、隣人ばかりでなく、世界中の人々の幸せを願う祈りが続くようにと思いました。
「12月のクリスマスキャロル、年末の第九、新年のニューイヤーコンサートなど季節に相応しい感動がありますね」と返信した所で、日々の慌ただしさやコロナ禍で、自分はもう何年も演劇やコンサートに出掛けていないことに気づきました。
演劇といえば、私は蜷川幸雄さんの大ファンで、1998年から彩の国さいたま劇場で、蜷川演出でのシェイクスピアの37戯曲全てを上演するという素晴らしい企画(蜷川演出では32作品までとなった)があり、心を揺さぶられる感動を味わいました。また、思いがけず、娘がNY に赴任することになり、ミュージカルやオペラを楽しむことが出来ました。
しかし、人生とは本当に山あり谷ありです。
その後は、青天の霹靂とも言える様々なことが起こり、心はすっかり疲れ果てて。。
素晴らしい感動や感謝の日々が在った事も忘れていました。
友人が気づかせてくれた『クリスマス』の意味を大切に、諦め、不安、憤りなど負の感情を捨てて、優しい気持ちで年末を迎えたいと思いました。
何より、世界中でとりわけ平和な日本に生きていることに感謝しなければなりません。
第3956号 名残の柚子(2024.12.8)
ではなぜ、初めて柚子を買うことになったのか。それは昨夏、両親がいわゆる「実家じまい」をし、マンションへと移り住んだからである。子ども達はとうに巣立ち、同居していた祖父母も亡くなり、両親は、急な階段の心配な年齢となった。一軒家を持て余した二人が、安心感のある集合住宅を選ぶのも、当然のことだろう。
実家には、亡き祖父の植えた植栽が多くあった。背の高い枇杷の木には手作りのブランコがかかっていたこともあったし、玄関先には、秋の到来を知らせる金木犀が、そして家の裏には、毎冬、鈴なりに実をつける柚子の木があった。
香りのよい黄金色のそれが実ると、あたり一面がぱあっと明るくなるようだった。冬が来るたび、わたしたちはこの柚子の恩恵に預かった。あまりにたくさん実るので、ご近所にお裾分けすることも、しばしば。実家を離れた後も、この柚子の木のおかげで、変わらず贅沢に柚子湯をたのしんでいたというわけだ。
昭和30年から二子玉川にあった、わたしの実家。とうに亡くなった祖父母の笑顔も、家族みなで泣いて笑った日々も、暮らしを彩った木々たちも、わたしがこの世を去るその日まで、胸のなか、消えることはないだろう。
それでも、毎冬、鈴なりに実をつけたあの木は、もうない。
わたしは実家での豊かな日々を思い出しながら、来冬も柚子を買うだろう。
第3955号 クリスマスカードと私(2024.12.1)
この時期、私はクリスマスカードを買い求めに都内の文具店に足を運ぶ。毎年恒例だ。
店内に足を一歩踏み入れると、そこにはフロアいっぱいにカードが並べられている。
外国製や日本製のもの。デザインも、ツリー、リース、サンタクロースやポインセチアをはじめとして、色づかいも緑、赤、ゴールド、シルバーなど。どのカードも個性的で華やか、そして美しい。圧巻だ。
また、ボタンを押すと、クリスマスソングが流れるメロディーカードやライトが点滅するもの。
一つずつ窓を開けていくアドベントカレンダーのようなカードなど、趣向に凝らされたカードは手に取って眺めるだけでもワクワクしてくる。
私はそこで、その年特にお世話になった方、若い頃からカードを交換している古い友人、海外留学した時にお世話になったホストファミリーに向けて出すためのカードを探す。
それぞれの方の顔を思い浮かべ、好みを考えながら1枚1枚丁寧に選ぶ。
今年は10人ほどにお出しするので、10枚の違うカードを手にして家路についた。
日本人の多くの方にとってそうであるように、私も宗教は持っていない。でもこの季節になると、胸の中には相手を思う気持ちがじんわりわいてくる。
冬の冷たい季節だけれど、心のこもったカードのやり取りは私を温もりで満たしてくれる。
感謝とお礼の気持ちを込めて、相手の健康と幸せを願って。さぁ、今年もカードに向かってペンを走らせたい。
第3954号 彫刻家(2024.11.24)
第3953号 素敵バス(2024.11.17)