今週の風の詩
第4044号 おじいちゃん(2026.8.16)
小学5年の夏休み、両親の離婚で転校した
新しい家は母方の祖父母の近くのアパート
家の前がグランドだった
母は私をグランドでラジオ体操している小学生のところに連れて行った
慣れない土地での初めての交流だった
そんなラジオ体操をしていたグランドは、
朝からおじいちゃんたちがゲートボールをしていた
毎朝登校する時に、
「おじいちゃん、おはよう!行ってきます!」
と言うのが日課だった。
おじいちゃんは手を挙げて、
「おぉ!いってらっしゃい」
と笑顔で言ってくれた
ある日おじいちゃんが電器屋さんのオープンセールでプレステを買ってきてくれた
私は初めてゲーム機を手に入れた
本体だけでは何も遊べないプレステに私は戸惑ったが
おじいちゃんにお礼を伝えた
だけど大人になった今、
自転車で行き、並んで買ってくれたその行為自体にもっともっと感謝すべきだったと思う
月日が流れると共に
おじいちゃんが一緒にゲートボールをしている人数が減っていった
最後はおじいちゃん1人になった
誰もいないグランドで1人でボールを打っていた
寂しそうな曲がった背中
今でもその姿は覚えている
私は大人になり年に1回しかおじいちゃんに会わなくなった
会うたびに年老いていく姿
ずっと乗っていた自転車で転倒し施設に入った
コロナ禍になり面会にも行けなくなった
なんとか大切な夫を紹介することができたころには、あまり話せなかった
ただ、あの時の笑顔と同じ笑顔だった
おじいちゃんのお葬式はとても賑やかだった
寂しい思いをたくさんさせてごめんね
おじいちゃんありがとう
みんな仲良くしてるよ安心してね
第4043号 天使になったダンゴムシ(2026.8.9)
小さい頃から虫が嫌いだった。
子供を産んで5年。その時はついに来た。「ママ、ダンゴムシ飼いたい」
ああ、ついに来たか、と思った。洗濯物のポケットからダンゴムシが出てこなかっただけまだマシだけれど。「ダメ」とは言えなかった。自分で世話をすると言ってるし、ダンゴムシは鳴きもしないし飛びもしない。「これがダメ」が通用しない。
そうして我が家に来たダンゴムシは3匹。だんごちゃん、まるちゃん、ダンゴマル。
世話は一週間で母の役目になった。朝晩の霧吹き、餌替え、掃除。毎日見ているうちに、不思議と、段々エビに見えてきた。そのうち、餌を食べる様子がちょっと可愛く思えてきた。のそのそ枝を登っているのを見つけた時には、動いているのが嬉しくて、子供たちを呼んだりもした。予想外にも、この小さな生き物に、私の心は日々揺さぶられていた。
飼い始めて2カ月目、まるちゃんが脱皮不全で死んでしまった。悲しかった。涙が滲むくらいに。
捕まえてきた場所に埋めて、丁寧にお墓を作り、ダンゴムシの飼育ケースの横に天使になったまるちゃんの絵を描いた。
夫に「捕まえてこなければ死なずに済んだかもしれない」と漏らしたことがある。
その時、夫はこう言った。
「涼しい部屋の中で、君が毎日欠かさず霧吹きをして餌を取り替えていたあのダンゴムシたちは、野生で暮らすより何倍も贅沢で幸せな生活をしていたと思うよ」
生死についてのコメントは控えながらも、彼らが幸せであっただろうとだけ言ってくれた夫の言葉を、私は今も時々思い出す。
第4042号 あの日携帯電話を届けてくれた人へ(2026.8.2)
あの日携帯電話を届けてくれた人へ
飲み会でいい気分になった夜更けの帰り道、あと少しで家、というところで転んでしまった。酔っていたせいでズベッと両膝をついてしまって、とても痛かった。楽しかった気分は急転直下、「痛い、痛い・・・」と言いながら起き上がり、半ベソで膝をさすりながら家に帰った。
帰って少し落ち着いたところではたと気づいた。携帯電話が、ない!
あわてて荷物中を探るが、ない。記憶を辿ると、電車に乗っている時まではあったので、いつも入れていた上着のポケットから、転んだ拍子に落ちてしまったのに違いない。
再び半ベソをかきながら、さっき転んだ場所に行ってみるが、やはりない。30分も経っていないのに。
酔いはすっかり覚めていた。ダメもとで交番へ行ってみることにした。
「携帯電話を落としてしまったんですけど・・・」涙目で伝え、警察官に促されるまま書類に、携帯電話の色、メーカーなど特徴を記入していると、若い警察官が奥の部屋から、「これですかね?」と差し出したのは、まさに私の携帯電話だった。
「それです!」と力が抜け、また涙がじわっと出た。まるで池の妖精が「あなたが落としたのはこの斧ですか?」と金の斧を差し出してくれるおとぎ話のようだった。
書類に受け取りのサインをして、交番を出た。携帯電話を盗まれて転売されるなど物騒なニュースが多いので、絶対見つからないと思っていた。こんな夜更けに、わざわざ交番まで届けてくれた誰かに、感謝の気持ちでいっぱいだった。拾ってくれた人に、どうか良いことが起こりますように。祈りながら、私も絶対誰かにいいことで返そう、と痛む膝で誓った。
第4041号 馬と新幹線(2026.7.26)
電車で騒ぐ幼児を見かけると、つい眉をひそめてしまうタイプだった。
けれど自分が父親になると知った日から、すべてが変わった。育児の本を読んだり、インターネットで調べものをしたりして、幸せだがソワソワした十月十日を過ごした。
最近のエコー検査では、胎児の表情がなんとなくわかることもある。
目を閉じている顔を見て「どこか似てるかも」と無理やり共通点を探すこともあった。
赤ちゃんをかわいいと思う気持ちには、ちゃんとした名前があるらしい。「ベビースキーマ」と呼ぶそうだが、そんなこともはじめて知った。
令和五年の年末に息子が生まれ、元気に育っている。
一歳を過ぎたころから、少しずつ言葉も出てきた。
「親をどう呼ばせるのか」という問題が浮上したので、妻と話し合って「お母ちゃん」「お父ちゃん」に決まった。
ところが最初に具体的な単語を覚えたのは「てーび(テレビ)」「きゅーきゅちゃ(救急車)」「まんま(ごはん)」である。
テレビをつけてほしいときなど、リモコンを指さして「てーび」と言うのだから、観察力には感心してしまう。
ある日、ついに息子が私を指さして言った。
「しんかんせん」
「お父ちゃんよ」と妻が何度教えても、なぜか修正されない。
「しんかんせん!」
そんな息子の名前の一部には「駿」の字を入れた。
広くて険しいこの世界を、駿馬のように駆けぬけてほしいと願いを込めた。
父も負けていられない。
「しんかんせん」は明日も家族のために走るのだから。
第4040号 コミュニケーション「さしすせそ」+α(2026.7.19)
「さ」…さすがですね
「し」…しりませんでした
「す」…すごいですね、orすばらしい、orすてき
「そ」…そうなんですね
この「さしすせそ」は、もしかすると、世間によく知られている教えかもしれないが、初めて聞いた私は、なぁるほど!と合点した。
そこで、この「さしすせそ」に、私なりにさらに付け加えたい言葉を思いついた。
題して、「あなたに」。
「あ」…アイコンタクトを忘れずに
「な」…「なるほど」と納得して
「た」…「たしかに」と認めて
「に」…にっこり笑顔で
「さしすせそ」+「あなたに」
このマジックワードで、スムーズなコミュニケーションをとれたなら、人間関係もうまくいくのではないだろうか。
もちろん、そこに、心がこもっていること、相手へのリスペクトがあることこそが、何より大切で不可欠なことであるのは言うまでもないことだが…。
第4039号 花火の下の約束(2026.7.12)
第4038号 びわの木(2026.7.5)
びわの木
第4037号 甘いルーティーン(2026.6.28)
第4036号 年上がすき(2026.6.21)
こっそり自転車の空気を入れてくれる 父ちゃん
気を使わせないように気を使う ばぁちゃん
出張のたびキーホルダーを買ってくる じいちゃん
僕は年上に弱い
第4035号 人生謳歌(2026.6.14)
毎朝の散歩コースを決め、余程の雨風にでもならなければ同じ時間に同じコースを歩いた。朝食も決められた時間、午前中は朝刊二紙に隈なく目を通した。決められた曜日の買い物や金融機関等へ出向くのは車ではなく自転車利用を守り通した。日々だけではない。春先の野菜の植え付けに始まり、育ち始めた野菜たちへの施肥や収穫時期も変えず、妻から「農業カレンダーを見ているみたい」と呆れ半分に揶揄われた。
それでも特段ストレスが溜まることもなかったし、毎日の予定が決まっていたから時間を持て余すこともなく、それなりに充実した日々を過ごしてきた。助言をくれた友人達は、私がそんなストイックな生活を続けられる筈がないと考えていたようで不思議そうに「型に嵌ったような生活を続けていて疲れないの?」と不思議がられた。
規則正しい生活に慣れてしまった本人にすれば何の苦にもならなかったが、毎日を考え直す切っ掛けは突然やってきた。日頃の様子を聴いていた小学校高学年になった孫の「おじいちゃん、規則正しい生活も大切だけど人生には“彩り”も必要だよ!」の一言に急所を突かれたような気がした。子どもの観察眼の鋭さである。
確かに凹凸が少なくなり予定調和に満たされたような日々には、ワクワク感が欠けていた。意固地になってはいけない。ほんの少しギアチェンジすることを決心した。規則正しい生活を続けながら日々にゆとりを持ち、やりたいことをやりたいように・・・である。七十余年間、懸命に歩んできたご褒美を享受しよう。考えると楽しくなる。これからが本当の“人生謳歌”の日々である。




