今週の風の詩
第3973号 母の野良着(2025.4.6)
母の野良着
長坂隆雄
久方振りに故郷の田舎を訪れた。
故郷の家を最後まで一人で守り続けた母が亡くなり、廃墟となって久しい家屋に入ると、停滞した空気の中に、至る処にわが家の歴史が残っていた。薄暗い納屋に入ると、その片隅にアイ染めの濃紺の野良着が吊らさげてあった。終始着用していた母の野良着である。
田畑仕事で泥にまみれ、汚れたら洗濯板で手で洗い、破れたら布を当て、一針一針縫った継ぎ接された野良着である。
春の麦刈り、秋の稲刈り以上に苛酷なのが、初夏から酷暑にかけての田植えであり、除草作業であった。時にヒルに咬まれ、血を吸われ、滴る汗を拭いながら、草取りに励んだ。長時間の立ち仕事の結果鬱血が主因の静脈瘤の足を引きずりながら働きづめの一生を送った母の歴史を凝縮したかの様な野良着である。
過疎の田舎で私の小学校からの同級生で旧制中学に進学できたのはたった二人だった。
終戦の翌年、中学校卒業と同時に就職し母を助けるのは当然と考えていた私に、強く進学を薦めたのは母だった。自分の様な苦しみを子供にさせたくないとの母の愛情であったろう。都会の大学への2時間余り、黒煙を吹き走る列車での通学の生活は、私以上に母にとって苛酷なものだった。5時過ぎの一番列車に乗るために、4時に起き、私の為の朝食を準備し、弁当も作ってくれた。引き続いての日中の苛酷な労働、眠る時間も惜しんでの生活だった。
「あんたに残してあげられるものは何もなくて、申し訳ない」というのが母の口癖だった。併し、無言の教訓の凝縮された母の野良着に勝る家宝はないと思った。
何ひとつ、優しい言葉をかける事もなく、感謝の言葉を口にする事もなく、別れて行った母への謝罪に胸圧迫される思いがした。
残された母の野良着を前に、様々な思いが蘇り、暫しその場に立ちつくしていた。