今週の風の詩
第4003号 想い出小箱From N.Y.(2025.11.2)
想い出小箱From N.Y.
ヘレン(ペンネーム)
ある日思い立って鏡台の整理をした。本や写真と比べて、アクセサリーの断捨離は順調に進む。 今の自分のライフスタイルに合わないネックレスや、サイズが合わなくなった指輪を、処分と書いた紙袋に詰めていく。 白い小箱にふと手が止まった。薄いブルーの文字でThe Metropolitan Museum of Artのロゴ。 中には世界三大美術館のひとつである「メト」の所蔵品のレプリカである、エスニックな意匠のブレスレットが入っていた。 これは30年以上前にNYに出張した父のお土産である。JFK国際空港に到着した直後、父は財布の盗難にあった。 EメールもSNSも無かった時代のこと、国際電話で「クレジットカードやトラベラーズチェックの盗難届を出してくれ」 との一報がはいり、留守宅はハチの巣をつついたような騒ぎとなった。私は何件ものカード会社に電話をかけ手続きをした。 幸い、父は一人ではなかったため同行の方から米ドルの現金を借りて7日間凌いだが、 一行の団長という立場にありながら米国到着早々の失態に、いつも陽気な父の声は沈んでいた。 手元不如意で過ごしたのだから、お土産など、はなから期待していなかったが、それでも貴重な外貨で 私のためにミュージアムショップでアクセサリーを購入してくれたと知った時は嬉しかった。 母は「一文無しなのに、娘にお土産なんて買わなくてもいいでしょう」とあきれていた。 無事帰国でき安堵したのか、父には笑顔が戻っていた。「カード会社への連絡、大変だったのよ。」 「一時はどうなることかと、ハラハラしたよ。」家族の団欒が一瞬のうちによみがえった。 あの時、一緒に笑い合った両親は二人とも数年前に旅立った。懐かしいひとときを想い出させてくれたブレスレットは、 もう少し手元に置いておくことにしよう。白い小箱は元あった鏡台の引き出しに再び収まった。




