今週の風の詩
第4015号 父とコダマ(2026.1.25)
2週間ぶりに父が退院してきた。玄関をよっこらしょと上がる父の気配を感じるや否や、猫のコダマがふっ飛んできた。父の足元で、すりすりゴロゴロが止まらない。
90歳の父には辛い心臓の手術だった。入院前は殆ど外出することもなく、母の仏壇に線香をあげ、庭の花に水をやり、コダマを撫でるのが父の日課だった。
退院し自室で休んでいる父を、コダマが見にいく。いなくなっていないか、確認しないと気が済まないらしい。父が「コダマ!」と呼ぶと、机の上にぽんと飛び乗り、お尻を上げてトントンを催促する。これを3分おきに繰り返す。父もコダマも飽きることがない。
――そんなにお尻トントンしないで、やりすぎは良くないって獣医さんが書いてるよ、と私が言うと、「そうかそうか」とナデナデに切り替え、術後療養期間は肩より上にあげてはいけない左手で、そっとコダマのアゴの下をさする。
2年前、生後4か月で猫伝染性腹膜炎という予後不良の病に罹ったコダマは、1日にチュール1本も食べきれず、苦しさのあまり洗濯機の下に隠れた。それでも名前を呼ぶと、小さな体で這いより、私の膝によじ登った。
劇的に効果がある未承認の薬を知り、3か月に及ぶ入院を経て、末期状態から辛うじて寛解を得ることができた。コダマの生きようとする力が、命を引き寄せたのだ。が、新車1台分の金額が飛んだ。私のへそくり、妹のボーナス、足らずに父の年金まで投入した。
「コダマだって頑張ったんだから」。そう言って父は手術を決意し、長引いた入院の末、足取りもよたよたと帰ってきた。
どうにか取り留めた命とながらえた命。どのくらい続くか分からないけれど、やっぱり嬉しい。それは父もコダマも同じだろう。
庭の牡丹が蕾をたくさん付けた。牡丹の花とコダマの顔の大きさ比べを、どうやら今年もできそうだ。




