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今週の風の詩

第 3891号 そこにあるもの/あったもの (2023.09.10)

そこにあるもの/あったもの

辰野 泰之

先日初めて少し値の張る椅子を買った。
いままで使ってきた椅子は処分するつもりだ。
今の家に住んでから毎日のように座ってきたその椅子はくたびれはじめてきて、
中央が軽くへこんだ座面をみると少し寂しい気持ちになる。
それは家の中ではいつも存在感があって、
私が住んでいる小さなワンルームの部屋のどこにいても目に入る。
特段座りやすいこともなかったし、高価なものでもなく、
デザインがとびきり好みだったわけでもない。
でも、そんな椅子でも毎日のように座って過ごしていたので愛着が生まれていたみたいだった。
愛着のあるものを手放す時に寂しいという感情が伴うのはなぜだろう。
いつもあるものがふと目にしたときに無くなっていると、
それがどんなにささやかなものであっても、無くなったという感覚は
しっかりとした喪失感として私の胸に残る。
椅子の形、大きさ、色、匂い、座り心地、そんな記憶の波が私に向かって押し寄せてくる。
海に飲み込まれる記憶を私は浜辺でただ見つめることしかできないような気持ちになる。
私の中の損なわれたスペースを埋めるように、
新しく買った椅子をいままでの椅子があった場所に置く。
そうしてまた新しい愛着が失ってしまった愛着の代わりを務めていく。
まるでそこにあったものが、今そこにあるものへと愛着のバトンを渡すように。

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