今週の風の詩
第3934号 「よお、元気?」(2024.7.7)
「よお、元気?」
はばき 隆
近所の蕎麦屋に、昔から出前専門に雇われている兄さんがいる。気のいい人で、道ですれ違うと、小学生だった私にも「よお、元気?」と声をかけてくれた。
彼は店主が代替わりしても、ずっと変わらず、飄々と出前のバイクを走らせていた。
年に数回見かける顔馴染みだ。会話をしたことはあまりない。実のところ名前も、ヘルメットをとった顔も知らない。
私は定年後、元の職場で数年働いたが、仕事や人間関係に疲れ、予定より少々早く引退した。そして散歩が日課となった。一人でゆっくりと逍遥していると、ようやく様々なしがらみから解放され身軽になった気がした。
「よお、元気?」
と声をかけられた。くだんの蕎麦屋の兄さんだ。ヘルメットの下の目が笑っている。
彼はバイクに跨って信号待ちをしていた。
相変わらず出前をしていることに驚いた。
私が小学生の時にバイクで出前をしていたのだから、もはや70歳近いはずだ。兄さんという年齢を超えてしまっている。
片手を上げて挨拶し、微笑って別れた。
彼が加齢で衰える日のくることや、妻子の有無を詮索する気持ちが沸いた。孤独や不安や悔恨はないか。彼からそんな陰影は感じなかった。
そして私の脳裏に、彼の笑っている目が浮かんだ。
彼は、そんな憂いがあっても「よお、元気?」と片手を上げて、あっさりとすれ違っているようだ。
彼の人生は、私のように長い間汲々と、解放を願い続けるものではなかったのだろう。そう思うと彼が少し羨ましくなった。