今週の風の詩
第3979号 紅茶を語る人(2025.5.18)
森の中にある小さなティールームを訪れた時のことだ。
緑に囲まれた白いコテージの中にはアンティークの置物や山野草が飾られていて、
初めてなのにとても居心地がよかった。
手作りのメニューを見てあれこれと迷いながら、温かい紅茶と焼き菓子を注文した。
窓際のガラスの置物に木漏れ日の当たる様子をぼんやり眺めていると、店主がお茶を
運んで来てくれた。
「最初の一杯はこちらで注いでよろしいですか?」
お店の方がポットを静かに上下させて、小花模様のティーカップに紅茶をゆっくりと
注ぎながら、注文した紅茶の茶園の風景や茶葉の香りの特徴などを静かに話してくれた。
穏やかに語る声は音楽のようで、見たことのない遠い国の茶園の様子がふと目に浮かぶ
ようだった。
幻の紅茶と呼ばれる美しい色のお茶の香りをそっと嗅いでゆっくりと味わうと、いつも
よりずっとお茶に親しみを感じた。
茶器やお菓子や部屋の雰囲気だけでなく、お茶に纏わる話が紅茶をより美味しくしてく
れたのだった。
アッサム、ウバ、キーマン、ヌワラエリア、きっとメニューの数だけ物語があるのだろう。
美味しいお菓子を味わいながら、静かな店内でゆったりとした時間を過ごすことができた。
帰り道、山を下りながら森の教会を通り過ぎて見慣れた街にたどり着くと、先ほどまで居た
森の中の店がはるか遠くに感じるようだった。
今度あのお店に行く時は、別のお茶を頼んでみよう。
吟遊詩人のような紅茶の物語を聴きながら、あの時間をまたすぐにでも味わいたいような、
もう少し心の中でゆっくりと思い返したいような不思議な気持ちで家路についた。
第3978号 おにぎり(2025.5.11)
ボウルに梅干しを入れて、塩昆布を入れて、胡麻を入れて、あればおじゃこも入れて、ご飯を入れて混ぜる。梅干しは本当はたたいたり刻んだりして入れたら良いのだろうけれど、面倒くさいのでしゃもじでつぶして、混ぜ込んでいる。
白いご飯が段々と赤く染まる。初めは赤と白がはっきり分かれているが、混ぜていくほどに赤と白の境界線が曖昧になって、全体が薄いピンク色になっていく。
これくらいで良いかな、と思うタイミングよりも少し多く私は混ぜてしまう。どこかにまだ染まっていない白があるような気がしてしまう。
私の母は、これを、混ざる手前あたりでやめてしまう人だった。母のおにぎりは大概ゆかりと決まっていた。今のようにふりかけの種類も多くなかったし、梅干し一つ入れる手間も惜しいほど、母は忙しかったのだと思う。母のおにぎりは混ざりきらず、濃い紫のところと、ほとんど白に近い、薄い紫が、おにぎりを包んだラップ越しにはっきり分かるほど、まだら模様だった。
均一に混ざったおにぎりが好きだった私は、どうしてもっと丁寧に混ぜてくれないのだろうと、おにぎりを食べる度に思った。それなら自分でやろうという自主性がなかったのはお恥ずかしい話。
フルタイムで教師として働きながら、家事全般をこなしていた母の毎日は忙しかった。学校での仕事を終えて帰ってくるのは7時過ぎ、それからバタバタと食事を作って、家族に食べさせて、終わってから家に持ち帰った仕事をしている姿もよく目にした。母は元々細かいことを気にしない性格で、家事は大雑把で、おにぎりも大雑把。でもだからこそ家のことが回っていたのだと今になって思う。
おにぎりを作ると、いつも母のことを思い出す。
第3977号 親と子(2025.5.4)
第3976号 3つの宝もの(2025.4.27)
第3975号 森の鈴蘭(2025.4.20)
第3974号 バッグのなかのぬいぐるみ(2025.4.13)
すぐ前の二人掛けの席には、30代前半くらいのご夫婦が3歳くらいの双子の女の子を連れて乗っている。私の真正面の席にお母さんと一緒に乗っている子はおとなしく座っている様子だったけれど、斜め前のお父さんの膝に乗っている子はぐずっていた。しばらくすると泣き出してしまってなかなか泣き止まない。なかなか大きな泣き声だ。
私はバッグからおもむろに小さなパンダのぬいぐるみを取りだし、前の座席の背もたれの上からパンダの黒い耳と白い頭をちらっと覗かせた。そうしてぬいぐるみの頭を左右に揺らして少しずつ上に動かしていくと、女の子がピタリと泣き止んだ。びっくりしたような表情でパンダをじっとみつめていたかと思うとにっこりと笑顔を見せ、右手を伸ばしてパンダをぎゅっとつかみ……………なんてことが起こればいいなと思う。いつも思う。
けれど私のバッグにパンダのぬいぐるみは入っていない。仮に入っていたとしても、いざとなったら何もしないだろう。余計に泣かせてしまうかもしれない、親御さんに睨まれるかもしれない……そんなあれこれを考えて、結果何もできないだろう。
新幹線の女の子は、結局1時間近く泣き続けていた。バッグのなかにぬいぐるみがあったなら…、と思ってしまう。
いつの日か、バッグにしのばせておいた小さなパンダのぬいぐるみをおもむろに取りだしてみたい。大泣きしていた子どもがにっこりと笑ってくれる笑顔を見てみたい。
第3973号 母の野良着(2025.4.6)
第3972号 ベランダの静かな同居人(2025.3.30)
自由が増えた反面、さみしさを感じることも多い。
そんななか仕事の関係でチューリップの球根をいただき、初めてチューリップを育てることにした。
球根は30個ほどあり、私の賃貸では育てきれないため、実家の両親と姉夫婦と分けてそれぞれの家で育てることにした。
チューリップは、寒いうちに球根を植えて、たくさんの水を与えることで春に花を咲かす。
芽吹く日を楽しみに水やりを続けた。
そんなある日、小さな小さな芽が出ていることに気がついた。
姉の家でも同じように芽が出て、少し遅れて実家の庭でも芽が出た。
それぞれの家の赤ちゃんのような芽の写真を送り合った。
毎朝の水やりは、チューリップの成長を確認するだけでなく、その日の天気のこと、春が近づいていること、離れて住む両親や姉のことを考える心穏やかな時間になった。
出張などで数日家を空けたときは、帰ると真っ先にベランダのカーテンをあける。
すくすく成長しているチューリップたちを見ると、あたたかく豊かに気持ちになる。
新生活を始める方が多いこの時期、寂しさを感じる方は、植物を育ててみるのはいかがだろうか?
ベランダの静かな同居人は、静かに寄り添い、新しい季節を届けてくれる。
第3971号 ソメイヨシノ(2025.3.23)
第3970号 ムスメのワガママ孝行(2025.3.16)
3月になった。
新卒以来の単身生活にピリオドを打ち、実家に戻って来てからもうすぐ丸2年が経つ。
一切他人を気にする必要なく、自分のペースだけで生活全てを構築できる独り身の日々はさしずめ本当に「おひとり様天国」で、その生活が長かったこともあり、出戻り当初はフラストレーションを感じたこともあった。
自宅のリフォームや近所の方の引っ越し、建て壊し。戸建の建設ラッシュにマンションの解体。
この2年間だけをとっても、実家も、そしてこの近辺も随分変わりしたが、その中でも痛感したのは、「自分の両親も年を重ねる」という当たり前の事実だろう。
頭では理解していても、時たま会うのと毎日顔を合わせるのでは、その実感はまるで違った。
『親孝行したい時に親はなし」という言葉があるが、これはなにも親の死後に限った話ではない。
無論親孝行したいが為にではなく、私自身が共に行きたいから誘うわけだが、例えば旅行に行こうと誘っても「もうそんな体力ないから」と断られてしまったら、それはもう実現できないことなのだ。
幸いなことに私の両親は未だ健在だが、それでも親自身に行動が伴う場合、制限なしの共有の思い出を作れる時間は切ないほど短い。
「不変で絶対的存在だと思っていた両親でも「いつか」に近づいている」
避けてきたこの事実を直視すると途方もない悲しみと焦りに襲われるが、未だなんとか親の健在な今の段階で実感できただけでも、私は実家に戻ってきて本当に良かったと思う。
どんなに冷たくしてしまっても変わらず31年愛を注ぎ続けてくれた大好きな両親に、私はもっとたくさんの思い出作りの提案していきたい。
そしてあわよくばその実行の過程で体力をつけて、元気にどこまでも長生きして欲しい。
まだまだずっと一緒にいたいんだからね。まだまだずっと、私のワガママに付き合ってもらうよ。
一緒に出掛けて一緒にたくさん過ごそうね。だからずっと長生きしてね。